2014年の音楽生活2

  今年は負性インピーダンス出力ヘッドホンアンプ元年ということになるかもしれない。


  NJM4580DD


  このアンプからすべてが始まる。





  
これがソニーのヘッドホンアンプの特性である。おそらくアップル純正のイヤホンに最適化されているのだろう。イヤホンでも
ベース楽器がよく聞こえる。その反面ビクターの
HA-S500-Bでは低音がだぶつくのである。

  ヘッドホン愛用者には負性インピーダンスアンプが一台は必要だ。





  この定数で組めば調整不要でZoは-11Ωになる。ヘッドホンをビクターの
HA-S500-Bにすると低音は筋金入りのガツンと来る類の
ものとなり高域の透明度も高い。






  NJM4556に換装



  すばらしい音質になった。本当にガツンとくる。このくらいの出力があれば大丈夫だ。


  SONY PHA-1で使われているTPA6120を搭載してみる。





  まろやかな音になっている。派手では無いが高級感はあると思う。測定してみると何故か出力が小さかった。
電流帰還アンプだからだろう。帰還回路がこの定数では大きすぎる。このセットはNJM4556で決定した。


  2月の最初の積雪。これくらいなら風情があっていいのだが。




大江健三郎  不満足

  若い世代の反抗つまりパンクが主題の小説なのだが、僕、菊比古、鳥(バード)の三人は高校を退学処分になり実存モード
になっている。彼らのスタンスは実存主義的左翼だ。

  三人は路面電車と城山のある地方都市に乗り込んで理不尽な大人に対しては暴力を振るったり、逃げ回ったりする。電車の終点
まで行くと、そこは精神病院だった。逃走した患者を三人は自転車で追いかける。

  後半は鳥(バード)が主人公になり患者を見つけ出すが、出くわした愚連隊の連中にぼこぼこにされ患者を取り逃がす。患者は
首吊り自殺しており病院の車に鳥(バード)も同乗して帰る。鳥(バード)は朝の光と工員たちの通勤風景を見て日常モードに戻る。

  僕と菊比古は実存モードのまま放置である。


大江健三郎  空の怪物アグイー

  障害児を生んでしまうことと自分が精神障害者になってしまうことの二つの難問を抱えてしまう音楽家に付き添うというバイト
を得た主人公が奮闘する話。殺された障害児が空の怪物アグイーとなって音楽家の前にたびたび現れると言う。無論本当かどうか
はわからない。主人公はバイトを無事終えられず音楽家の死亡事故に立ちあってしまう羽目になる。しかも子供たちに投石され
て片目が失明する。なんで主人公が石打ちの刑になるのかよくわからないのだが、著者の生半可な宗教知識からくるものなのだろう



大江健三郎  敬老週間

  学生が金持ちの老人に今の日本の社会の状況をお話しするというバイトの話。学生は東大理科、文科、教育学部の三人だ。
当時の日本社会がひどい状況なのか学生たちはわざとバラ色の未来の話をする。最後にどんでん返しがあって星新一のショート
ショートみたいに終わる。

  星新一の理系のショートショートとはだいぶ趣は異なっている。


映画  アザーズ

  イングランドの田舎の風景と古い館。最初の方はいやーな雰囲気が醸し出ていて見るのが苦痛だったが、やはり主演が
ニコール・キッドマンだからだろうか。美人だけどほんわかしたところの無い人だ。

  なんかよくわからないことが続くのだが真相が少しづつ明らかになってくる。が、最後の種明かしまでは小出しにするしか
ないのだろう。それもこの映画が見辛い理由の一つである。

  結局はホーンティッドマンションを幽霊側から見たらこうなるという話だった。いろいろ破綻しているし、こういう話もあるよ―
そうですか?という印象しかない。


映画 ザ・スタンド 原題 Medicine Man
  
  アマゾンの奥地でガンの新薬を研究する変人科学者(ショーンコネリー)のストーリー。導入部から見ていて楽しい映像になって
いる。医学研究としてはずいぶん変なやりかただが大人向けの娯楽作品と思えばいいのだろう。

  ザ・スタンドという題名の有名な映画がもう一つあるらしい。


安部公房  デンドロカカリヤ

  詩的でペダンティックで可愛らしい完成度の高い作品だ。コモン君が植物になりかかったとき、町では緑化週間の最中であると
気づく。シュールな悪意のある言葉の響。その後は申し合わせたように行く先々で緑化に向かって準備が進められる恐怖。

  いやたぶん全部コモン君の妄想だったに違いない。その証拠に植物園でデンドロカカリヤを見ているのはコモン君そのものだもの。


安部公房  虚構

  この頃の作品はずいぶんと難解だ。Mとその妻とHの三角関係の話で、妻とHは美術系の人で元恋人のようだ。妻が選んだ
のは結局Mであるが二人には隙間風が吹いている。関係を突き詰めてゆくと一緒にいないほうが良いということになる。公園で
出くわしたTに妻の不倫を示唆され妻からHへの手紙も発見する。読んでゆくとMも画家の卵のようだがMは安部公房なのだろう。
Mが書いている手紙と回想が入り混じって構造がわかりにくいことになっているのに加えて論旨も飛躍と矛盾に満ちたものだ。

  まあ結局、無意識は虚構を拒絶するので無意識レベルに踏み込んでゆくと意識が虚構と認識しているものが見えてきて
混乱するのはあたりまえか。


映画  チャイナタウン

  ジャック・ニコルソンとフェイ・ダナウェイ主演の見応えのある映画だった。有能でずる賢い私立探偵(ジャック・ニコルソン)
と事件に巻き込まれて殺されたロサンゼルス市の水道局の役人の美しい妻(フェイ・ダナウェイ)が事件の真相を突き止め
ようとするが、ある人物による土地の買い占めと水利権という構図がだんだんと見えてくる。事件は急展開するが、物語の
終結する舞台がチャイナタウンであり、その名の象徴する通り禍々しく事件は終わる。だがチャイナタウンで起こったことは
何故か不問に付すことができるのである。

  フェイ・ダナウェイはちょっと生活の崩れた大金持ちの美女として出てくるが女性らしさも備わっているし、カラカラに乾いた
ようなニコール・キッドマンとは存在感が違うようだ。ジャック・ニコルソンはまさに名優。


安部公房 牧草

  この物語には落ちがない。いったい手紙の目的とは、猟銃を持って何かを待ち伏せしていた医師の意図は?主人公の
男は曲解して突然怒り出して終わる。

  落ちを一つ考えてみた。医師の狙っていた獲物は牧草を食みにくる鹿で、栽培した薬草も使ったジビエ料理を主人公に
振る舞うつもりだったと。満州で暮らしていた安部公房は鳥やうさぎのジビエ料理をよく目にしていたのではないだろうか。

  もう一つの落ちは手紙でおびき出した男を射殺して山に埋めてこの地を去ろうと考えての行動だ。よほどの怨念か狂気が
必要だがそれがこの小説から読み取れるだろうか。なかなか困難である。


映画 トゥモロー・ワールド  原題 Children of Men

  生殖機能の喪失により人類滅亡のカウントダウンが始まった近未来。実にリアルに描かれている。世界経済は停止し
流れ込んだ難民の武装化を食い止めることができなかった先進諸国は崩壊する。島国でがっちり溜め込んだ英国のみが
辛うじて治安を維持できているのである。

  結局先進諸国が崩壊すると人類滅亡とは関係無くこんな世界になるのだなあと教えてくれる映画である。


映画  バス男  原題  Nopoleon Dynamite

  アメリカの田舎町に住むナポレオン・ダイナマイトという高校生の話。高校までがちょっと遠いのでバスで通うのだが
本数が少ないようだ。年の離れた兄と祖母との三人暮らしである。

  脱力系コメディなのでシュールな笑いとアメリカの日常が混在する感じで進行する。アメリカの日常は俗物的なものだが
主人公のほうも高尚という訳でもない。淡々と変人ぶりを発揮するのである。

  ユーザレビューを見ると面白さが全くわからないという人が2〜3割いるようだった。つまり6〜7割には概ね好評であると
いう結果になっている。この数字は興味深い。  


  これまでヘッドホンで聴いたことの無い音



  ネット中や読書中にJVCのヘッドホンHA-S500-Bでこのアンプを聴いているが、静寂の中に透明で柔らかい音がすうっと
流れてくる感じがする。低音は勿論音程明確である。

   秋月のケース入りBUF634負性インピーダンスアンプというのがその解だ。とりあえずここまで来れて良かった。音楽に
没頭できそうな気がする。


中公文庫  老子

  この本の成り立ちが面白い。紀元前五世紀頃洛陽を落ちのびてこれから隠遁しようとする賢者に何か書いてもらった
書という。簡潔で短いのが特徴だ。

  第一章は名前がついた途端それは本物で無くなるということを説いている。始原のものと文明的な物の二元論である。
欲のあるものつまり文明にどっぷり浸かっている者には物事の妙を見ることができないという。

  これはつい最近私の到達した考えそのままである。

  第二章では美醜、善悪について述べているが、これは反対概念はその片方を人々が取り上げる事によって生じるもの
で始めからあったものでは無いという趣旨だ。

   これも正義、不正義について私が考えたことと似ている。

  第十一章では無用の用について述べている。荘子の無用の用のほうが有名だがこちらの方がシンプルでわかりやすい。

  Car Graphicの小林彰太郎がFRのプロペラシャフトを無用の用といってその効用を認めていた。

  第十二章になると私と意見が違ってくる。「美しい絵画や音楽を楽しむな。美食をするな。聖人はただ生き延びるため
に食べるだけである。」という主張になる。何故かというとそういう刺激によって、かぼそく見えにくいものを見る能力が失われる
からだという。

  だが聖人でない人にはそれは無用の心配だ。むしろ若いうちにいろんな音楽を聴いておかないと年とともに新しい音楽を拒絶
するようになるので大変困るのだ。その境目がどうやら30代らしい。


  映画  そして、私たちは愛に帰る  原題 Auf der anderen site

  NHK BSで放映されたものだがガッツリといやらしい、しかし限りなく真実に近い内容の映画だった。逆回しで解説すると
黒海沿岸のトルコの村トラブゾン出身の父子がドイツに住み、父親は年金暮らし、息子は大学教授をしている。やもめである
父はトルコ出身の売春婦を後妻にしようとしたが家に呼んだ翌日腹を立てて殴り殺してしまう。父親は強制送還されるが、息子は
売春婦の一人娘を援助しようとイスタンブールで捜索を開始した。

  その後は活動家の娘がドイツ人家庭を巻き込んで大変な事件になってゆく(大学生シャルロッテ死亡)。最後は息子が
犠牲祭の日に蟄居中の父を尋ねてイスタンブールからトラブゾンまでドライブして終わる。白い砂浜と穏やかに打ち寄せる
波の音が印象的た。

  リアルだなあと思ったのはドイツがトルコ人に手を焼いている一方でトルコがクルド人に手を焼いているという現実があることも
描かれていたことだ。まさに堂々巡りである。

  教訓として得られることが多い映画でもある。結局、生存空間は同じでも実存空間が違うもの同士は関わってはいけないという
ことなのだが、若いということはその区別がつきにくく、実存モードに容易に陥る特性を持つので危ない。

  現在シャルロッテのような人に、この映画を見せたら実存モードから抜け出ることが可能になるだろうか。





  Freecellの連勝記録はいくらでも伸ばせるようになってしまった。負けそうな気がしたらそこで一回終わっておくと
また最初からできることに気がついた。だからこの記録はもう意味が無い。


  SITヘッドホンアンプ


  すっきりと美しく描けていると思う。時間が取れたら夏頃には作ってみよう。


森鴎外  青年

  驚くべき会話が繰り広げられる青春小説だ。本当に知的レベルが高い。漱石の三四郎も同じジャンルの小説だが会話の内容は
ジレッタントの域にとどまる。主人公の前に次々と現れる女性に対してもかなり踏み込んだところまで描写がなされており観察眼の
深さが違う。 

  山口からでてきたばかりの主人公の純一は大学生ではないが美大生や帝大生の友人がいて、女ならちょっかいを出してくる
レベルの美青年である。しかし帝大文科顔負けの語学力と教養をもち実家も裕福なこの男は誘惑に乗るべきか避けるべきか考え
ながら時は過ぎてゆく。三四郎の場合と違って踏み込めば落とせる状況なので若い体がもやもやと悩むのである。
  


山田太一  シャツの店(1986)

  ドラマ人間模様の第1回と第6回がNHK BSで放映された。東京の下町でオーダーメイドのシャツの店を営む夫婦と息子と
住み込みの職人が織りなす人間模様を描く。親方(鶴田浩二)は頑固な職人気質でここまで来たが、その頑固さに愛想を尽かした
妻が息子と出てゆく。危機に陥った店を親方と職人でなんとか続けてゆくが、次々と新たな問題が噴出してくる。息子のフリーター化
と妻の浮気疑惑である。

  この頃はまだフリーターが持てはやされていたかもしれない。アルバイトで200万貯めた息子(佐藤浩市)は大学四年だが就職
せずに世界を回りたいという。

  飲み屋で働くようになった美人の妻(八千草薫)に恋心を抱く中年サラリーマンが現れるが特に何事も無く親方に嫉妬心を
起こさせるという役回りだった。結局別居した二人は仲直りするが、このサラリーマンの独白に山田太一の美人観が出ているの
ではないかと思った。普通の冴えない男は美人には一生縁が無いけれど片思いくらいはしてもいいじゃないかという考えだ。
それはどうかなと思う。

  息子がどうなったかは真ん中の四回分が無いのでとうとうよくわからなかった。全作品の再放送が望まれる。でもこれ自体が
再放送だということはNHKにはそのつもりが無いということだろう。


映画 Exit Speed

  導入部ごちゃごちゃしていてピンとこなかったのだが長距離バスのロードムービー風になってきたところから少し引き込まれて
ゆく。すると武装したノマドが現れてあっという間に地獄の状況に陥ってしまう。お互い死傷者が出た状態で廃墟になった自動車
解体工場にバスが突っ込んでそこでの籠城戦となる。乗客側には軍属の女性がいてピストルが一丁ある。

  この辺まで見てこれは七人の侍のテキサス版だなと気づく。自前の武器を工夫したり、相手の武器を奪って戦闘力を高めてゆく
のである。最後はノマド軍団を全滅させてしまい、そんなバカなという印象を与えるが、B級映画なので仕方ないのであろう。しかし
それを云うと黒澤映画もB級ということになってしまう。

  それにしても殺し合いになったら武器の優劣が決定的に効いてくる。それも相手の知らない秘密兵器が最強である、という教訓が
確認できる映画だった。

  タイトルの意味だがメヒコのおっちゃんが自作したポテト砲のことではないかと思った。ポテト砲の効果について知りたい人は
この映画を見ることをお勧めする。


映画 ライト・スタッフ

  米軍のロケット機X1による音速への挑戦からNASAのマーキュリー計画終了の頃までの実話に基づく映画である。出てくる
映像は驚異的だが軍人やその妻たちは人間臭く飄々と生きているように描かれている。ソ連との開発競争も滑稽さと悲哀を含
んでいるし、人類の進歩という明るいだけの話ではないようだ。

  何故かこれを観てステーキとポテトが食べたくなりそれが数日続いた。


映画 従妹ベット

  19世紀フランスの動く模型と言われているバルザックの小説を映画に再現したもの。とにかく人物が活き活きとして
魅力的だ。パリの歌姫ジェニーの美貌も申し分ないし当時の風俗などもシニカルに描かれていて面白い。主人公のベット
はロレーヌ出身の田舎娘だが男爵家に縁がありパリで働いている。この映画は男爵夫人の死去によりベットが女中頭とし
て働くように云われるところから始まる。

  観ていて全く予期しない事が次々と起こって来るのだが結末も凄まじいものだった。フランス文学はこういうものなのか。
付け加えるとこの作品は映像も音楽も素晴らしかった。

(つづく)