2014年の音楽生活6

  油蝉が来訪せる日曜の朝
 


映画  旅情 (1955)

  キャサリン・ヘップバーン主演の恋愛ドラマ。ベネチアにおける米国人観光客がやや滑稽に描かれるが主人公は
大真面目である。一人旅の38歳独身女性の前に色男の骨董店主が現れて市内をデートする。主人公は相手が
妻帯者とわかるが相手の魅力に押し切られて深い仲になる。主人公の衣服を見ているとずいぶん金持ちなんだなあ
と思うが国での職業は秘書であるらしい。男の方は恋に落ちたというよりは接待してあげたという感じだが、お金が目当
てのようには見えなかった。もし関係が長く続いたならどうだったかわからないが。


  男はつらいよ 寅次郎 サラダ記念日 (1988)

  小諸に着いた寅次郎はバスに乗ろうとして地元の老女と言葉を交わすのだがそれが発端となり美人女医(三田佳子)
と遭遇することになる。年の頃は40代後半だが容色の衰えがほとんどない美女なので寅次郎も不釣り合いがわかっていた
ようで去り際が今回は素早かった。さくらの息子の満男はこの頃大学志望校選びに迷っていて地方の大学に行きたい
と考えていたが周りが反対しており、寅さんもこの話で早稲田大学にゆくのを勧めていたが結局城東大学という架空の
大学に進学している。

  未亡人である女医には周りから縁談を勧める動きがあるのと別々に暮らす息子の子育てにも悩んでいたが寅さんの
姿を見て何か心境の変化が起きたのか、退職して子どもと暮らそうと考える。しかしそれを口に出した途端院長は激昂し
その軟弱な生き方を否定する。そのとき入院患者が吐血し女医は気を取り直したように仕事に戻ってゆく。さてすると
結論はどうなったのだろう。山田洋次監督はあえて白黒をつけてはいない。

  終わりに住職がさくらに向かって寅さんの欲のない生き方をみているとほっとするところがあると言う場面がある。これが
間接的な答えになっているようだ。


山田太一  丘の上の向日葵  (1993)

  全12話を録画できたのでゆっくり鑑賞する。主演は小林薫、技術者で高給を取り電車通勤をしている。郊外に
一戸建てを持ち妻(竹下景子)と一人娘がいる。ほぼ理想といえる人生を再現したのかもしれない。夫婦には心の闇
も無さそうだし(これは伏線か)これは幸福な人生を送れそうだ。そこに或る日謎の美女(島田陽子)が主人公の前に
現れ理不尽な行動に出る。

   第二話で種が明かされるが、主人公には19年前に女を買ったときにできた子供がいるという荒唐無稽なものだった。
主人公は猛抗議するが理詰めでギャフンと言わされる。

  闇=18歳の隠し子

 という図式か。また娘が意外にも凶暴だったのが誰の遺伝だろうという会話が出てくる。これも伏線かもしれない。


山田太一    丘の上の向日葵

  謎の女は既成事実を積み重ねてゆくが、男が逃げられないようにして最後に牙をむくのだろう。カードを伏せた会話が
よく出てくる。カードを開いた時にそれほど矛盾しないように気を使いながらの綱渡りの会話だ。

  第6話では謎の女とエスニックなレストランでデートし高級なバーにはしごしたが、ここが夢見心地のクライマックスのような
気がする。このあと何が出てくるか。

   散歩と称して女の家に度々訪れていた主人公だがそれに娘が加わり4人の団らんとなる。それが和やかに4時間も続いた
ものだから少々まずいことになる。帰ってみると妻が居なかった。父娘でカレーを作っていると買い物から妻が帰ってくる。結局
その晩に主人公がすべてを打ち明ける事になる。妻は半狂乱になり車で家を飛び出しプチ家出をする。でもこのドラマでは一応
納得して受け入れるのだ。


山田太一    丘の上の向日葵

  理解のある妻のおかげで両家族がふつうにお付き合いする関係になるが、お付き合いするうちに少しずつぎくしゃく
してくる。やはり無理があるのだ。主人公は女の美貌に惹かれており、やっぱり寝たいと思っている。第10話でとうとう女
のほうから告白する。第11話で二人でホテルにしけこむのだが、東芝日曜劇場なのに本当に関係を持ってしまった。翌日の
会社も無断欠勤しこのまま破綻するかと思われたが、記憶喪失を装ってなんとか切り抜ける。しかし妻だけは浮気を確信して
いた。自分のことを想っている夫の部下とラブホにしけこんだあと思いの丈を吐露してキスだけ許す。どろどろ感を幾分薄めた
上で息子の大英断が爽やかな印象を残した。母とともに姿を消したのだ。


まとめ

  仕事を放り出して温泉にでも行ってみたいという主人公の妄想から始まるこのドラマには3つの家庭が出てくる。主人公
が持つのは絵に描いたような幸せな家庭である。いい仕事、美しい専業主婦の妻、一戸建ての家、都内なのに高級セダン、
かわいい娘もいる。それに並置されるのは営業部の友人の家庭である。共働きで子供が居ない。どう見ても前者のほうが幸福
に見えるがこれは条件の設定次第だと思う。それと突然現れた障害者を持つ母子家庭。これが婚姻関係は無いが自分の直系
親族だったという話。普通なら詐欺師が近づいてきて家庭を破壊するホラーになるはずのところが作者の手腕によってファンタ
ジー的なドラマに仕上っている。結局、妻の心の闇は炸裂せず娘の本当の父親は誰かということも無く終わるが、現実だと謎の女
が牙を剥いた後は粘着し、主人公の家庭は崩壊し、娘は実は托卵だったということになるような気がする。


男はつらいよ 寅次郎 心の旅路(1989)

  松島の遊覧船で遊ぶ脳天気な寅次郎の場面から始まり一転して東京の現実が出てくる。この頃はさくらの一家は川べり
の一戸建てに住んでおり一浪中の満男は予備校に通っていた。すでにサラリーマンになりたくないと考えるようになった満男
はさくらと口論する。大手企業に勤めるサラリーマン(榎本明)が自殺未遂したところに出くわした寅次郎はサラリーマンと
ウィーン旅行することになる。

  ここまでの映像はカメラワークがシュールな感じに仕上がっている。ウィーン入りしてから迷子となった寅次郎は親切な
女性(竹下景子)と知り合いになるがそこから帰国までの展開は、まあありきたりという表現にふさわしいものだった。ウィーン
の表情も表層的で、観光パンフレットの域を出ない。

  例によっていろいろな人物、風景がでてくる。日本人なら親しんだものが多く出てくるというところが醍醐味なので人生も
終わりに近づいた段階で見てもかなり楽しい映画だ。


映画 動く標的  (1966)

 ハードボイルド探偵小説を映画化したものなのでストーリーが複雑だ。例によって色男の探偵(ポール・ニューマン)が金持ちの
クライアントに面倒な仕事を頼まれるが、今回は探偵の私生活が明かされている。持ち前の行動力で一直線に核心に迫ってゆく
というストーリーだが現実にはそうはいかないと思う。敵に捕まって死んでいるところがいくつもある。

 今回も次から次へと女がすり寄ってくるのだが決めゼリフでうまくかわしている。僕は妻に逃げられた中年男だよと言って相手を
傷つけずに逃げるのである。


山田太一  深夜へようこそ (1986)

  全4話を見る。主人公のコンビニの深夜アルバイトは大学に通いながら仕事をこなしている。そこへ中年男がアポ無しで
やってくる。今夜から本部の紹介で働く事になった○○ですという。なかなか衝撃的だがどうやら本当であるらしい。

  エピソードとしてファウストのような老人の老いらくの恋がでてくる。結構な邸宅に住む引退した独居老人が美人の老女を
追い回すのである。店員たちの協力により二人はめでたくカップルになる。

  これはちょっといただけなかった。老人はファウストではなくハイヤームのようになるべきというのが私の結論だ。

 エピソードとして主人公が幼なじみに告白するが振られ、立ち直るためにモデル風の美女(名取裕子)にアタックするという
のがでてくる。若大将ならともかく、どちらかと言うと風采もあがらない学生アルバイトがどうして美女をゲットすることができる
だろうか。もし出来たならドタバタ喜劇の領域になる。


山田太一  深夜にようこそ

  モデル風の美女はクラブのコンパニオンなどをして高級マンションに住む文字通り高嶺の花だった。強盗の小事件に巻き込
んだお詫びのコーヒーを振る舞ったりして、彼女と接近するところまで来たが、その後マンションに訪問した時に男は手ひどい言葉
を浴びせられる。この辺の本音に近いものが山田太一の女性観なのだろう。あとで女からお詫びして付き合いましょうとなる展開
は現実ではありえないと思う。このドラマでは病気の後遺症を理由にかろうじてドタバタ喜劇を免れていた。
  
  男はもう一人の気になる女性(告白して振られたばかりだが未練がある)のピンチを助けようと、しゃしゃり出て手痛い
言葉を浴びせられている。失恋の痛手がさらなるトラウマに発展した好例だ。

  恋愛の話の他に万引き、強盗のエピソードもあったが最後は中年男が規則を破るようなことをして、身バレして終わる。
やはり親会社の幹部だったのだ。その理由たるや社員をリストラしたことが自分の身にこたえたからというやや陳腐なものだった。

  音楽は池辺晋一郎が担当。オリジナルの楽曲が面白い。


男はつらいよ  ぼくの伯父さん (1989)

  オープニングは鄙びた田園地帯での寅次郎のドタバタ喜劇だが、すぐ東京の諏訪博宅の全景が映しだされる。
それは江戸川土手のすぐ側の角地から二番目の30坪位の敷地に立つ木造2階建ての洋風建築で白い外壁と
青い瓦屋根が特徴だ。庭はなくブロック塀で囲まれており背の低い木が3本植えられている。満男がバイクに乗り
代々木の予備校に行き、父親は自転車で仕事に行く光景が描かれる。満男はまた母親と口論になるが立派なタメ口
のヤンキーに成長していた。

  転校していった美少女(後藤久美子)から手紙が来た満男は彼女のことで頭がいっぱいになる。そこへ寅次郎が
帰ってくるのだが満男の悩みを浅草のどぜう屋で酒を酌み交わしながら聞いてやる。満男は決心し、バイクで彼女に
逢いにゆくことにする。これはプチ家出であり、ホンダVT250でゆくツーリングでもある。

 満男の両親は満男の家出に対し動揺し打ちひしがれるが、御前様の親離れ子離れの準備の時期であるという言葉に
さくらは少し気を取り直す。

  今回はこの無謀な旅がメインテーマだったが、満男が窮地に陥ったとき、偶然寅次郎が現れるというのはほぼあり
えない設定なのでもっと悲惨な結果になったというのが現実だと思う。
 
  コスモスの咲く裏庭で寅次郎と奥さん(檀ふみ)がしみじみと会話する場面が美しかった。


映画 半落ち (2005)

  原作を一回読んで映画も観た。元刑事がアルツハイマーの妻を絞殺し三日後に自首するという事件の顛末を
警察、検察、裁判所の内部から描いたような作品だ。それぞれの組織に一人づつ真実を暴こうとする反骨の男が
いてそれに新聞記者と弁護士が加わる。

  もし全落ちしたらどこがまずいのだろうかがいまいちよくわからない。被告人の元刑事から空白の二日間の真相は
最後まで語られなかったので明示はされなかったが、非常に具体的に暗示されていた。歌舞伎町のラーメン屋で
こっそりラーメンを一杯食べたということだろうか。そのあと義姉を呼んで妻の日記を託したということか。その後
どこかでひっそりと死ねば無理心中は成立する。自分がドナーになれる期限が後一年だから自首して後一年生きよう
ということなら全落ちしても結果は同じである。

  ラーメン屋を訪れたことをマスコミに書かれてしまうことが不本意というのは理由として弱い気がした。2日あれば
全身麻酔下での骨髄液凍結保存ができることを考えればストーリーとしてはそちらの方がいいように思えるが、凍結
保存骨髄液の移植は認められていないようだ。


  山田太一  三日間  (1982)

  パキスタンに単身赴任中の父が三日間だけ帰ってくる。一家は妻と長男、長女に祖母である。一家は少し問題を
抱えているがそれを表に出さないようにして父を迎え入れようとしている。問題とは祖母の認知症と予備校生の長男
の自殺未遂である。父は帰ってきた時家に誰もいないことに驚くが、祖母が徘徊していたのがその理由だった。どうも
祖母と長男との間に確執があるようでもある。父から久し振りに熱海にみんなで一泊しようと提案があったが、長男が
遅く帰ったこともあり、翌日渋谷で遊ぶことになる。長男は模試の予定があり行かないことになるが、妹も祖母の一言
で行かないと言い出す。祖母は一言多いが兄妹も過剰に反応するようだ。結局夫婦で午前中お茶をして、夜は祖母の
手料理で団欒することに。妻(若尾文子)は一人で淡々と家を切り盛りし祖母に仕えている。

  兄は父に2年間も帰れないのはおかしい、家庭から逃げているのではないかと自分の考えをぶつける。父は怒る
ことなく諄々と説き伏せる。妹は家の問題を父も知らせておくべきだと母に主張する。結局母の配慮により何事も無く
父は機上の人となる。

 単発ドラマなのでこれで終わるが、父があちらで客死しないと伏線が効いてこない。長編ドラマの一回目として書いた
のだろうか。


  山田太一  それからの冬

  妻が先立つ冒頭のシーンがなんともシュールだ。葬儀を終え落ち込んでいる主人公。さぞかし寒々とした冬が訪れる
だろうと期待させられるが、妻の美人の友人が接近してくる。まるで後釜を狙っているかのようだ。主人公も渡りに船と女に
接近する。これではあまりに不道徳なので強烈になじってくる義兄夫婦を登場させている。

  主人公は福島から出てきた実直な男で色男ではない。女の接近してきた理由も語られるが本当の理由かどうかはわから
ない。これも続きを書かないと落ちが無い話だ。


男はつらいよ 寅次郎の休日 (1990)

  枕の寸劇は公家に扮する寅次郎が中秋の名月をめでながら歌を詠む場面に始まり、さくら式部と再会したところで目
が覚める。所は九州の田舎である。旅の途中である寅次郎は金銭的に窮乏しているようだ。

  すぐ東京の諏訪博宅に切り替わるが、八王子の大学に通っている満男がまた母親と揉めている。どうやらアルバイトを
してアパート暮らしをしたいようだ。親としては言いたいことはあるが説得は難しい。

  そんな状況の中で美少女の泉が父に会いに名古屋からやってくる。しかし父は会社を辞めてどこかへ行っていた。泉は
今度は満男とともに新幹線で大分へ旅することになる。またもや満男の暴走だ。それを寅さんと泉の母親がブルートレイン
で追いかける。泉の父親は製材所で働き女と暮らしていた。幸せそうな父を見ると泉は何も言えずに帰ろうとするがそこで寅
たちと再会する。

  話は大体これで終わり。わりと呆気なかった。


NHK BS   世界の果ての村で〜グリーンランド

  二アコルナットはグリーンランド沿岸部にあるイヌイットが住む人口57人の村。カレイの水産加工場が閉鎖され存続の
危機にある。乏しい資源を頼りに自給自足的な生活に戻るか、自分らで出資して工場を再開するか決断を迫られている。
ソ連崩壊後のシベリアの村と同根の問題を抱えている。あちらはもう諦めていたようだったが。ここにはホテルもレストランも
なく雑貨店が一軒あるのみだが、電気は引かれていてインターネットもある。物資は定期的に来る補給船が頼りである。
  
  政府はグリーンランドの改革を進めていて今の補助金を打ち切り廃村にする計画のようだ。村長が中心となり会社と交渉
の末いい条件で工場を買い取ることができた。あとは観光業の基盤を整備すれば存続できそうである。だがまた一人18歳の
若者が町に去っていった。どうやら人口減がこの村の行く末を左右しそうである。


映画  ザ・シューター (2006)

  大統領暗殺のぬれぎぬを着せられ消される運命に陥った主人公を描く映画。日本のゴールデンスランバーと同工異曲なので
時系列を確認してみるとゴールデンスランバー(小説)は2007年だった。

  悪として描かれる上院議員と大佐が表にわかりやすく出てくる。彼らはあの手この手で主人公を殺害しようとするが、その
裏をかいて逆に敵を殲滅するところがこの映画のみどころのようだ。法と正義は無力で、有効だったのが暴力だけといういつもの
寒々とする結末になっている。


映画  狼たちの処刑台 (2009)

  久しぶりに映画らしい映画を観た。観ているうちにだんだん状況がわかってくる。公営住宅に住む元海兵隊員の老人は子を
亡くし妻を亡くしてからは、酒を飲み友とチェスをしてのんびり暮らしていた。ところが公営住宅周辺は治安が悪化しており麻薬
の密売や暴力事件が多発していた。不良グループからいやがらせを受けていた友人がある日惨殺死体で発見される。

  警察との絡みもリアリティがあるし、ハイヤームのように余生を過ごしていた老人が突然ランボーのような殺人マシンに変貌
するというのが面白い。だが老人は肺気腫を患っており走ると倒れてしまうのだ。


映画  いつでも夢を (1963)

  吉永小百合と浜田光夫のゴールデンコンビに橋幸夫が加わった娯楽作品。オリンピック前年の東京の様子がそこはかとなく
わかる。都心部は車であふれていてセドリック、クラウン、パブリカ、よくわからない外車などが走っていた。首都高を急ピッチで作
っている頃だ。ストーリーは荒川沿いの工業地帯に住む貧しい人たちの暮らしを描いたもので、当時の人達に夢と希望を与えた
はず。


映画 マイ・ルーム (1996)

  寝たきりの父親と年老いた叔母の世話をしながら20年間自分を犠牲にした姉と、二人の息子を持つシングルマザーの妹が
再会する話。姉はいつのまにか白血病を発症しており、移植のためのドナーが必要になる。親族に検査を受けてもらい結果が出
るまでの数日間の様子を描く。心理描写が多い。妹(メリル・ストリーブ)は見ていていやになるくらい自分勝手な女に見える。それ
だけ演技が真に迫っているということだ。結局3人の骨髄は適合せず姉は化学療法を続けることになる。

  姉の将来は暗いが、結末としては絆が復活したように見える。


平野啓一郎  決壊

  彼は瀬戸内寂聴さんお勧めの作家である。読み始めてみてちょっと驚いた。オッカムのかみそりが出てくる作家は初めてで
ある。官僚同士の会話を使って自分の持論を述べるという手法が用いられている。森鴎外の青年程ではないがなかなか核心を
ついた議論が展開される。でも本当の官僚の考えがこの程度ならがっかりという感じも受ける。

  超エリートになって青山に住み美人と交際するとどうなんだろうと自分も考えたことがあるが、この小説ではあまり楽しくなさ
そうではある。いろいろとよく出来た小説と思うが香り立つような文章でないところが唯一つの欠点の気がする。


山田太一 テレビドラマ よろしくな。息子  (2014)

  冒頭でコンビニに停めてあるクラシックカーはブリティッシュグリーンのMG TD。300万というところか。昔気質の職人が
これみよがしにこんなのに乗るだろうか。主人公は初老のオーダーメイドの靴職人(渡辺謙)で、お見合いをして断られている。
見合いの相手は看護師の派遣業を経営している女(余貴美子)で、息子(東出昌大)がいるがそれぞれ独立して暮らしてい
る。女は結構なマンションに住みワインを注ぎ、息子とハーゲンダッツを食べながら会話する。生活苦とは反対の描写である。
息子は母親の背中を見ながら育ち、今は25くらいだがコンビニの深夜バイトをしている。これも小綺麗なワンルームマンションに
住み、きれいな彼女もいる。

  結局ラスト9分のところで女から告白して二人はできてしまう。唐突で不自然だったが、渡辺謙はいい男なので仕方がない
だろう。余貴美子は老眼鏡をかけたりはずしたりして初老の雰囲気を出している。最後にレインボーブリッジの見えるテラス
で二人がデートするが、男がしている時計がパテック・フィリップ、女がカルティエと成金を演出して幕を下ろす。

  山田太一脚本のセオリーである「アポ無し訪問からドラマは始まる」と、「マニュアルは無視せよ」が入っていた。シリーズ
おやじの背中の競作ドラマなのにこれはおふくろの背中だ。強烈な皮肉か。


映画 ブラックレイン  (1989)

  ストーリー的には可もなく不可もないヤクザ映画だった。米国の警察が基準に描かれているので日本の警察が珍妙なものに
映る。大阪の街もブレードランナー風に映像化されている。役者の演技は達者なものだった。ブラックレインの意味もヤクザの
親分の独白でだいたい判明したが、日米戦のときの空爆後に降った雨のことのようだ。


男はつらいよ 寅次郎の告白  (1991)

  枕の寸劇は中津川渓谷での寅次郎で簡素なつくりだった。タイトルバックが終わるとすぐ東京の場面になる。美少女の泉が
就職の面接のため上京してくるので満男は上機嫌だ。今度もとらやに寅が帰ってきて口論が始まるのだが、そのときのカメラ
ワークには計算尽くされた職人技が見られる。泉は結局紹介では楽器店に採用してもらえなかった。採用には高校枠というも
のがあるらしい。短大を出て入社試験を受けるという方法も提示されたが事情が許さないらしい。

  泉は母の恋人との折り合いが悪く反撥するシーンの後に、日本海を見に鳥取へ家出をする。それを知った満男はまたもや
さくらの制止を無視して彼女の元へ飛んでゆく。泉が街を彷徨っているうちに寅と遭遇する。お決まりの展開だ。

  砂丘で再会した三人は料亭で一泊するが女将が昔の寅の恋人だった。昔寅を振った恋人は今は未亡人になっていたが
寅と差しつ差されつ楽しい一夜を過ごす。

  翌日満男が寅次郎の恋愛哲学について語るがこれがこの映画の本質のようだ。


映画 白い肌の異常な夜  (1971)

  クリント・イーストウッドのこの映画は社会派風の感じで始まり、だんだんサイコホラーになってゆく。この後の恐怖のメロディ
とよく似ている。南北戦争のさなか森のなかにある女子学院に敵の負傷兵として入り込んだ男(クリント・イーストウッド)が、
治療を受けてなんとか回復するが、院長をはじめ何人かの女に言い寄られたり、こちらから告白したりするうちに大変なことに
なってゆく。クリント・イーストウッドは弁も立つ色男なので何とかうまくやるのではと思って見ていたらそうはならなかった。こう
いう美味しそうな詰め合わせクッキーは食べると死ぬのである。



山本周五郎  酒みずく・語ることなし   旧題 小説の効用・青べか日記

  特に恵まれた人はべつとして、私どもいちばん数の多い人たちは、生活するだけでも常に、困難と拒絶と排斥と嫌悪に当面
しなければならない。けれども私は、その中にこそ人間の人間らしい生活があり、希望や未来性があると信じている。

  まあこれが山本周五郎の描こうとした主題なのだろう。青べか日記の最後のページは強烈で金策が尽き婚約者にも去られ
た周五郎がでてくる。身をもって体験したということか。

  葛西善蔵ほどではないにせよ彼もかなり身勝手で酒癖が悪いのではないか。両者の違いは才能の有無のようだ。


映画  若者たち  (1967)

  両親を早くから亡くした5人兄弟の家族。長男と次男は働き三男は大学へ、四男は浪人中、長女はお三どんをしているが、
ある日長女が家出をするところから始まる。長女は高校時代の友人のアパートへ居候し工場に勤務するがそこでいろんな
出来事を見ることになる。友人は工場の破綻と資金の持ち逃げに会い水商売の道に入る。三男の大学の友人は授業料が
払えず、高等看護学校に行く選択をする。三男はアルバイトして学費を作ろうとするが、彼女を引き止めることはできなかった。

  長男は建築現場の監督だが労災にあった下請けの人を助けるよう上層部に掛け合った結果解雇される。そのためにフィア
ンセにも逃げられてしまう。四男は受験に失敗し就職を考えている。長女は被爆者でコンプレックスを持つ彼氏を追いかけて
茅ヶ崎に行き彼氏と再会する。

  この映画でも困難と拒絶はいたるところに顔を出すようだが、嫌悪、排斥は少ない。どちらかというと砂糖でくるんだような
現実味の低いストーリーなのだろう。


男はつらいよ 寅次郎の青春  (1992)

  第45作め。大部神通力が落ちてきているように感じる。満男が宮崎に飛んでくる理由もいまいちだし、会話にひねりも
なんにもないのが続く。ここ何作かで気づいたのは各地方で寅次郎に関わる家庭が出てくるがいづれも哀愁を漂わせている
設定になっている。田舎の生活は中央の目線からは不幸に見えるというのも紋切型な発想だ。

  寅次郎は出先での所持金が無くなるし窮乏がだんだん明らかになる。柴又に戻った時の老後のことも暗に会話にのぼる。
どういう形で寅次郎の一生を終わらせるのか模索している様子が伺われる。

  満男と泉の関係は泉の生活環境の変化の激しさに満男は翻弄されぐだぐだになる。この映画は恋愛マニュアルとしては
全く役には立たない。

 結局寅次郎の足の怪我も詐病ということになり周りをあきれさせる。御前様(笠智衆)が亡くなる数カ月前の映像が出てくる
(享年88)。1992年はバブル崩壊後なのに1997年までゆるやかに経済成長を続ける。活力のある日本の様子も背景
から見て取れる。


映画 ホタル  (2001)

  元特攻隊の漁師(高倉健)とその妻(田中裕子)の助けあいながら生きる夫婦の姿を中心に、戦時中の特攻隊の若者と
生き残った者達の今を描く。テーマはそういうものだが描き方に難があると思われる。人格者の高倉健を中心に周囲が協調
的に動く。困難と拒絶と排斥と嫌悪がつきものの世の中で、戦時中ならなおさら困難と絶望が渦巻いていたはずである。そこ
へは全くメスを入れずに美化されたエピソードだけが提示されてゆく。途中で見るのをやめようかと思ったが苦労して作った
人たちに敬意を表して終わりまで観た。オリジナルの音楽は上手に書けていると思った。


NHK BS 映画  我が大草原の母  (2010)

  内モンゴル自治区のシリンゴル草原を舞台としたプロパガンダ色たっぷりのホームドラマだ。毛沢東の大躍進政策によって
生じた大飢饉によって孤児が上海だけで3000人出たことを、大災害によってとさらりと流している。内モンゴルの家庭に引き
取られた男の子はシリンフと名付けられ成人する。恋愛したり党中央によって大学進学の道が開けたりと現実からは遠い話が
進んでゆく。中国はこういういいことを内モンゴルにしましたというプロパガンダなのが見え見えである。チベット族の追憶の切符
という映画に引き続きこういうのを出してくる中国とそれに手を貸すNHKという構図が見えてくる。


映画 トゥルース 闇の告発 (2010)

  ボスニア紛争の停戦後に国連の行っている監視活動に参加した米国の女性警察官が任務をこなしているうちに組織的な
人身売買を目撃し少女たちを助けようとする。しかし話は単純ではなく、地元警察と国連のスタッフも人身売買に一枚噛んで
おり捜査を妨害してくる。これは映画セルピコと同じような状況だが、こちらの方は最後にどんでん返しがあり、女性警察官は
資料を持って出国できた。その後BBCが事件を報道し、国連も対処せざるを得ない状況となったが結局は国連側の勝ちで、
女性警察官はオランダで隠遁生活を送る破目になるのである。やはり結果はセルピコと同じだ。


アルフォンズ ドーデエ 村の学校

  アルザス・ロレーヌ地方がドイツに帰属することが決まって村の学校にドイツ語教師と憲兵がやってきたときの話。学校で
ちょっとした悲劇が起こる。ドイツ式教育はフランス人から見て堅苦しすぎるし、ドイツ人からフランス式を見るといい加減に
見えるわけである。こういった事象は異民族が割拠するヨーロッパの宿命といってよい。これはもうしょうがないと心得てうまく
やるか、あえて対立するかのどちらかしかない。三か国に囲まれたスイスなんかはうまくやっているのだろう。


映画 ドライブ・アングリー (2011)

  ニコラス・ケイジ主演のカーアクションもの。ダッジチャージャーのHEMIが出てくる。V8気筒7リッターで敵を追いかけるが、
パトカーは振りきれない。ルシファーや死神が出てくる悪魔映画だがかなり滑稽な味もある。結局は地獄の釜が開くのを
食い止める話のようだ。水木しげるの悪魔くんもそんな話だった。

  死んだ男が好きだった車に乗るために地獄を抜け出してきた話にも見える。


男はつらいよ  寅次郎の縁談 (1993)

  枕の寸劇で寅次郎は花嫁に口上を述べるが屋敷を構えた旦那でもないのにと仲間に揶揄されてかちんとくる。その上
その仲間が寅に内緒で若妻まで貰っていたことがばれて寅次郎に突き飛ばされる。

  荒川の諏訪邸では満男の就職活動の最中で、満男は30数回面接を受けてすべて不採用となっていた。期待して受けた
会社にまた落とされた満男は両親に思いをぶつけるが博にビンタされとうとう家出をする。今回はブルートレインで高松に向
かう。ここまでの描写は無駄がなく第一級のホームドラマと言って良い。

  満男は志々島で蟹をとるバイトをしていた。下宿先の女将は葉子という美女(松坂慶子)だった。これは有島武郎の或る女
から取った名前だろう。寅次郎が岡山行きのひかりで満男を迎えにゆくが葉子を見て恋に落ち本来の目的はそっちのけになる。
満男も地元の診療所に勤める看護婦とねんごろになる。そうういう血筋なのである。その夜、島の人達を集めてどんちゃん騒ぎ
が行われるがよく見ると地元民もほとんど東京者というのが可笑しい。

  二人はそれぞれの相手と相思相愛になるが変な恋愛哲学により別れを選択し東京に帰る。何かにふっきれたのか満男も
次の就職試験に受かったのである。


映画 ダニエラという女  (2005)

  フランス人が書いた大人の寓話だ。娼館を覗きこむ一人の男。宝くじが当たったと言い目当ての娼婦を口説いてみるが
まんまと成功する。その娼婦は誰もが息を呑むほどの美女(モニカ・ベルッチ)だが優しいところもあり、病弱な男をかばって
一緒に幸せになろうとする。

  こういう夢物語が進行するが不条理性が徐々に顔を出してくる。医者の友達が診察や生活指導をしてくれるのだが女が
現れた途端死んでしまう。女には情夫がすでにいて凶悪なギャングだが、さしで男と賠償金の話をしても結局男には手を出
さなかった。男の会社の同僚達が彼のアパートに来て男の幸せな様子をチェックするが、カフカの小説のような雰囲気を醸
している。結局全体が夢の中の話のようで現実感が希薄だが、最後に男が目覚めると全部夢だったとなることもない。

  男の幸せとは何かについて真理まで到達している点では、ジャック・メスリーヌと双璧となる映画だ。


映画  今のままでいて  (1978)

  ローマに住む中年の造園技師(マルチェロ・マストロヤンニ)がフィレンツェに住む奔放な学生(ナスターシャ・キンスキー)と
出会い恋に落ちる。が、その娘は男の昔の恋人の娘かもしれないのだった。

  まんまメロドラマだったが男はプレイボーイというわけでもなく純朴な感じで女に接する。しかし男慣れした女に導かれて二人
は深い仲になる。男が秘密を打ち明けた後も関係が続きその男の家庭も崩壊寸前までゆくが、最後は女のほうから去っていった。
それも母が男から去っていったのと同じ方法で。それを悟った男は最後の場面で寂しく車を発進させるのである。

  ポール・ニューマンもそうだが、こういう飛び抜けたモテ男の話は全くと言っていいほど参考にはならない。我々とは次元が
違うようなことが次々と起こってくるからである。


映画  噂のモーガン夫妻 (2009)

  ニューヨークのセレブ夫婦が殺人事件を目撃したことにより殺し屋から命を狙われることになる。そのため司法による証人
保護プログラムが発動しワイオミング州の辺鄙な町で秘密裏の生活を送ることになる。州都から70キロ余りのレイという町
である。調べるとそんな地名はないのでインドのレーになぞらえたのではないかと思った。ものすごい辺境のように感じるが、
飛行機で4時間、さらに車で1時間というところか。

  夫婦間には浮気による離婚の危機が訪れており不妊症の問題もある。夫の懸命のアピールによって夫婦仲は修復に
向かうがそこへ再びスナイパーが現れることになる。

  こういった感じのコメディー映画だった。食べ物がまずいように描かれていたが、ビーフとポテトならふんだんに食べれる
のではないだろうか。イエローストーン国立公園もあり行ってみたい気がした。

(つづく)