2015年の音楽生活1

エリック・ホッファー 魂の錬金術

 天声人語にこの本のことが書いてあったので購入した。回路の錬金術なら無くはないと
思うが、魂の錬金術があるのだろうか?

 創造的なアイデアのワインを凡庸の水に変えるものこそ、真の反キリスト者である。

 うーんこれは。しばらく考えてみよう。



 今わがWindows7機はGoogle Drive、Dropbox、One Drive、iCloud Driveがエクスプローラー
みたいに開いており壮観だが、やっとどのアプリケーション(iPad用)が使いものになるか
が分かってきた。



 ある文書ソフトでは公開時に名前が出てしまうし、ある計算ソフトではある時期から
ロックされ閲覧のみになる。こまめにファイルを移しておかないと悲惨なことになる。

 Google の文書ソフト、 iCloudの計算ソフトが今のところ快適に使えている。

 Cloudが創造的なアイデアのワインとすればMicrosoftの技術者が反キリスト者といえる
かもしれない。それともファイルが見えないようにしていたAppleの技術者がそうなのか。
このあたりは簡単ではなさそうだ。



 この本は沖中仕の哲学者と呼ばれるエリック・ホッファーのアフォリズム集だがこんな
ことも書いてある。

 待つことは、時間に重みを与えることである。

 老人にとって新しいことは、たいてい悪い知らせである。


 鋭い切り口の中にもそこはかとないユーモアを感じる。



映画 ソビエト侵攻 バルバロッサ作戦 1941 (2003)

 ベラルーシの村をドイツ軍の戦車と航空機が襲う。ソ連軍の国境守備隊は蹴散らされ村の
ユダヤ人は集められ虐殺される。ナチスドイツ軍の電撃戦だ。

 主人公はニューヨークから親戚を訪ねてきた女性とソ連の将校でドイツ軍から逃れて
落ちのびてゆく。

 ちょっとハリウッド風の陳腐なプロパガンダ映画だがベラルーシの自然とロシア製管弦楽曲
はとてもいい。凄いバリトン歌手も出てくる。



映画 タンネンベルク1939 独ソ侵略戦争 (2007)

 独ソ開戦前夜のポーランドを舞台としたドイツ人将校とユダヤ人女性の駆け落ちのような
話。音楽も映像もそれなりに美しいし言葉も磨かれた感じがあるが、戦闘シーンは歩兵対
パルチザン位しか出てこない。工作員の潜入、村ごと虐殺するシーンもありリアリズムを
感じさせるところもある。

 宿命が折り重なっているところはギリシャ悲劇風であり、手強い敵をうまく打ち破るなど
予定調和的な展開があった。美女が多く出てきて綺麗に撮られているが、結局娯楽映画の
域を出ていないなと感じた。



映画 サハラ 死の砂漠を脱出せよ (2005)

 WHOの職員と宝探し屋の米国人がマリの守備隊に襲われて北へ逃げるのだが、トゥアレグ族
に投降する。ここまでで結構面白い。

 砂漠にも渓谷のような場所がありそこは昔川だったところだ。果たして150年前の伝説の装甲
戦艦が埋まっているのか。

 マリの将軍のヘリに追いかけられ銃撃されるが逃げているうちに偶々戦艦の残骸を発見し
中に逃げ込む。ここまでもいろいろあり秘密工場も出てくるしとにかくお金はかかっている。

 最後はマリの軍隊に包囲されるが戦艦の大砲で将軍のヘリを撃墜し大逆転して終わった。
金貨もいっぱい見つかったしニジェール川の汚染も食い止めるし出来過ぎの結末だった。



辺境萌え DVD 天のゆりかご パミール高原に生きる

 ムスタグ・アタという標高7546mの山の麓にタシュクルガンという町がある。今は中国の
領内になっていてタジク族が少数民族として暮らしている。標高4000mながら雪解け水による
川が流れており草原が広がっている。ヤギとヤクの放牧がおそらく生きるための唯一の手段
になっている。子ヤギを捌く場面が出てくる。小学校では中国語で教育が行われていた。
タシュクルガンから南に60kmの村ではハダカムギ、カブの栽培も行われている。生産高は多く
ない。ここには道路もあり送電線が走りパラボラアンテナが立ちランクルもやってくる。

 最後に一家がヤギとヤクを引き連れて野営をしながら5000m級の山越えをする。大変危険
な仕事のように見えるが毎年行っている普通のことなのだろう。

 争いの多いイラン高原を逃れてパミール高原に移り住んだということは、争いを好まない
人々ということになる。辺境に共通する特性のようなものがある。ベルホヤンスクもそうだ
し日本もそうだ。



室生犀星 杏っ子

 平四郎は雑誌社の応接間で原稿を渡しお金を受け取るまでの待ち時間の間にこういう考えが
頭をよぎっている。

 つまり原稿というもののあくどい邪気が、何処までも頭の中を否応なしに掻き廻してくる、
原稿のまぼろしや、ゆうれい共が平四郎の生涯について廻るのである。

 若いうちは原稿を書いてお金がもらえる仕事ほど楽なものは無いくらいに考えがちである
が、こういったものが一緒に付いてくるのである。普通の仕事で四苦八苦しているのと結局
の処同じかもしれない。




 今年はメーカー製ヘッドホンアンプを購入しようと少し考えているが、ビクターのSU-AX7
が最有力だ。オルトフォンのディスクリート回路という触れ込みのものはTRが4つしか見えて
いないわけでこれじゃあ手が出ない。もしかすると裏にチップ部品がある可能性もなくは無
いが。SU-AX7のアンプ部はソニーPHA-1と同じTPA-6120だ。



 K79SEPPminiとHCA2とPHA-1を徹底試聴して買うべきかどうか結論を出す。

 HCA2は甘く伸びやかな木目の細かい音でPHAー1と相当な違いがある。PHAー1の優れて
いる点は透明に分解する中高域の解像度の高さでこれは自作機では到底かなわない。欠点は
やや丸くなる高域と平板でダンピングが甘い低域だ。

 K79SEPPは明るく軽い高域とダイナミックレンジの広い低音が特徴でベースにも音色が感じ
られるレベルだ。他の二者とは余裕が違う。

 結局PHAー1に近いのをまた買うことになるのかもしれない。



映画 逃走車 (2013)

 ヨハネスブルグへようこそという言葉に期待が高まる。主人公は空港でレンタカーを受け取り
恋人のところへ向かおうとするがとんでもない事件に巻き込まれることになる。車の中で
女性検事が死に警察に命を狙われる状況になし崩し的になってしまう。でもよく考えると
タクシーで行けば良かったのではという気もする。

 相当手際の悪いこの男だが果たして検事のところへ証言テープを持って行けるのだろうか。
持って行ったとしても検事もグルならやはり終わり。ヨハネスブルグの人々が現れて、助けて
くれたり呪いをかけたりする。ここからはまるで神曲のようだ。カーチェイスが始まるが
トランスポーターのような腕もない。啓示を受けたような主人公だが神の加護はあるのか。

 とうとう車で裁判所に突入したところ、刑事とスナイパーから彼を守ったのは裁判所の警察
とオンエア中の報道記者のマイクだった。これだと奇跡レベルと言える。



山田太一 ナイフの行方

 オープニングがいつもの如く私鉄の沿線にある住宅地の映像から始まる。音楽も手馴れた
ものでオリジナルの叙情的なものを配している。説明抜きで進んでゆくが料理を作っている
女性(相武紗季)がきれいな若妻かと思って見ていると、老人(松本幸四郎)が食事を一人
で始めたところを見て家政婦だとわかる。いろいろ想像したり意外性を感じたりできるように
構成されている。この老人は妻を亡くしているが自宅で悠々自適に暮らしている。ブランデー
のグラスが写っている。今回はハイヤームだ。

 山田太一は犯罪ものをやらないと著書で宣言しており今回もその禁則を破ることは無かっ
た。通り魔が犯行に及ぼうとする時老人が阻止する。警察には付き出さず家に連れて帰る。

 老人はどんな言葉が相手の心の琴線に触れるか考えながら話している。研究の結果では
言う方の利益になる言動は相手側の琴線には触れないという法則がある。まず完全な第三者
であることが重要でその上何かが無ければならない。いつの間にか立場が逆転しているという
のもいい。



山田太一 ナイフの行方

 家政婦が気を利かせて二階に軟禁中の通り魔の青年(今井翼)を階下に呼んでコーヒーを
振る舞う。このとき少し身の上話が出るのだが彼女は元夫のDVから逃げていると言う。青年は
つい同情してしまったようだ。ほーらだんだん立場が逆転してくる。

 老人が夜の新宿を歩き回る。不審な人物が後をつけてくるのだが振り返ってみると昔の
知り合いの美女(松坂慶子)だった。レストランでお酒を飲みながら昔を懐かしんで歓談
する。盛り上がったネタがミュージカルのヘアーとは。老人世代しか分からないだろう。

 もう一つ法則が出てくる。誰かがいやに挑発してくるときは相手を怒らせて本音を出させ
ようとする場合のことがある。青年がそれをやったが大したことは無かった。そのあと青年
が自分語りを始める。老人が聞き出そうとしたわけではないのでこれは成功だろう。完全に
心を開いた感じだ。

 もう一人の老人(津川雅彦)が出てくる。先ほどの美女の今の男のようだがこちらは
どうやらファウストのようである。



山田太一 ナイフの行方

 謎の美女が留守中に訪ねてきて留守番の青年にいろいろ喋ってゆく。どうやら老人の元カノ
で間違い無いようだ。青年もだんだんと感化されてきたのか一歩引くような行動を取るように
なってくる。心なしか表情も和らいだようだ。

 「誰だって言えないことを抱えて別の話をしている。」喫茶店で老人が元カノに言った言葉
だ。このアフォリズムがこのドラマのもう一つのテーマであると考えられる。ファウストが
老人の留守中に青年を訪ねてくる。ビールを飲みながら青年の身の上話をじっくり聞いてや
る。過去の恋愛話だった。そこから通り魔事件に発展するとは意外。今度はファウストが過去
の外国での話を始める。そのトラウマから一生逃げ続けたというがそれが何だったかは明かさ
れない。

 老人の淡い期待は裏切られ失恋する。その夜一人で聴いていたのはアルバートアイラーの
ようなコルトレーンのような、結局同定できなかった。



山田太一 ナイフの行方

 青年のギプスが取れた日シャンペンを持って美人とファウストが老人の家に集まってきた。
いつもの本音をぶつけ合うエンディングだが、老人の口からいよいよ封印された過去の秘密
が明かされる。

 青年海外協力隊としてある国に入り込んだこの二人の元青年がチェゲバラに感化されて
政府転覆のようなことを企て村どうしの殺し合いに巻き込まれる。理念で生きていた二人は
現実の醜悪さに驚き人生観が変わる。その後は日本に帰り隠遁のような生活を送っていた
らしい。

 この話を聞いて青年の心に生じた変化は何だったのだろうか。少なくとも気持ちが楽にな
ったに違いない。このあと美人とファウストがやっている店で働く事が決まる。

 青年が立ち直るためのチームで行ったセラピーのようになっていてどうやら奏功したよう
だ。だが映画 アントワンフィッシャーで見たようにこれは永遠のテーマであり現実には
うまく行くかどうかはわからない。



テレビ完全版 ゴッドファーザー

 時系列順に編集された特別版。お正月休みなので観てみよう。ヴィトーの生い立ちから
順を追ってエピソードが出てくる。なんの説明もないのだが折り重なる宿命がヴィトー少年
をシチリア島からニューヨークの移民街へと運ぶ。ヴィトーは成長してゆくがヤクザとしての
才能を開花させてゆく。映像も劇中の生演奏主体の音楽も一味違っており素晴らしい。

 開始1時間のところでやっとゴッドファーザー愛のテーマが出てくるがどうやら場所は
シチリア島らしい。成功して里帰りしたヴィトーは親族と食卓を囲み、いよいよドン・
チッチオへの復讐を開始する。銃でぶっ殺して堂々とニューヨークへ帰って行った。

 娘の盛大な結婚式。ヴィトー役はマーロン・ブランドになりゴッドファーザー=ドン・コル
レオーネとして地域社会に君臨している。FBIにも目を付けられている。田舎風だが一族は
上流階級のいで立ちになっている。何も解説はないが三男のマイケル(アル・パチーノ)が
重要な役割を演じそうだ。ドンにとって自慢の息子のようだ。



テレビ完全版 ゴッドファーザー

 はっきり言ってコルレオーネ一家は移民社会に巣食うマフィアなのだが議員とも繋がりが
あり豊富な資金を有している。同胞の相談に乗り力を貸す代わりにドンに睨まれると生きて
ゆけなくなるらしい。淡々と描かれているが相当えげつないエピソードもあった。

 麻薬密売をめぐり敵対関係にあるタッタリアの一味に銃撃されドンは瀕死の重傷を負う。
入院中のドンを敵の手から守り、交渉を持ちかけてきた相手をぶっ殺したのが三男のマイケル
である。大学出で頭が回り度胸もある。ドンは奇跡的に回復し家に戻るがマフィア間の
抗争がいよいよ激化して行く状況の中どう舵を取って行くのだろう。



テレビ完全版 ゴッドファーザー

 血の気の多い長男のソニーが罠に嵌められマシンガンの一斉射撃で死ぬことになる。これは
妹の夫の仕業だった。一家は打ちひしがれるがここでドンが立ち上がり五大ファミリーの
会議を招集し手打ちを計る。ドンのうまい弁舌により和平協定は成立するがこれにより麻薬の
蔓延は避けられなくなる。ドンの人道主義的な発言、黒人蔑視を隠さないマフィアの発言など
この辺りがこの映画で最も胡散臭い部分だろう。

 協定のおかげでマイケルも逃亡先のシチリアから帰ってくる。マイケルは逃亡先でも命を狙わ
れ最初の妻アポロニアが犠牲になっている。

 ドンは跡を継がせようとした長男が死んだことにより三男のマイケルを後継者に指名する。
次男は小物すぎるのだ。ドンは孫と庭で遊んでいる時倒れて死去する。それまでドンの助言に
従ってファミリーを仕切っていたマイケルだが、ドンの死後思い切った行動に出る。姪の子の
洗礼式の最中に五大ファミリーの頭を次々と殺し内部の裏切り者を処分する。妹の夫も今に
なって自白させて殺している。もう破局に向かって進んでいるのではないか。



テレビ完全版 ゴッドファーザー

 ラスベガスに本拠を移しホテルとカジノで儲けようと上院議員に接近し強引な買収を試みる
が議員はイタリア人を毛嫌いしていた。イタリア人を見下したような発言に対しマイケルは
賄賂の要求を拒否している。マイケルはプライドを傷付ける者と裏切り者は絶対に許さない。
公聴会に呼ばれる元になったフランクと兄のフレッドまで殺している。妻のケイは公聴会の
あと離婚を申し出る。マイケルの言葉は口先だけで北部のインテリ女のケイの心には響か
ない。結局後で出て行くことになる。

 マイアミのボスであるロスと手を組みキューバに投資する話では会談のさなかにキューバ
革命が勃発している。回想シーンになるが、久しぶりに集まった兄弟の夕食の時、日本の
真珠湾攻撃についての彼らのコメントが出てくる。イタリア人にとっては空気を読まない
クレイジーな日本だがドイツ人である弁護士のトムだけは冷静に見ている。

 家族の結束は大事にする割に男尊女卑だし、権謀術数は凄いが中身は空っぽというのが
イタリア人なのだなと感じさせる映画だった。それほどマフィアとイタリア人を賛美した
映画にはなっていないと思う。



映画 ちゃんと伝える (2009)

 若い人がガンで死ぬことになる話が主題である。会社員の主人公は体も頑丈そうだし恋人
もいる。豊川の高校の体育教師を父(奥田瑛二)に持ち、母(高橋恵子)は凄まじい美人で
あるが今回何の意味があるのだろう。

 父の主治医に診てもらったところガンが見つかったという。自分のことをさておいても
親より先に死ぬことと恋人と別れることが重くのしかかってくる。

 勿論どうすべきという答えのない状況から一つを選ぶことになるわけである。時間は容赦
してくれない。と思っていたら父が先に亡くなってしまった。58歳という若さだった。
霊柩車ジャックのところでは紅名湖のところを回り道するくらいがいいような気がした。

 この主人公の死生観だが父の死の受け止め方、死んだ鳩を目にした後の行動を見ると成熟
したものとは言い難い。恋人にもストレートに伝えたけれどこれでいいのかどうか。それに
対する恋人の答えは結局今の話は聞かなかったことにして先に進もうと言っているのと同じ
なのだから。



映画 ガーダ パレスチナの詩 (2005)

 ガザ地区の映像が出てくる。海岸があり密集した住宅がある。ガチガチのイスラム国家の
ような気もするが女性のガーダが師範学校を出て教職に就くなどわりと自由な社会のようだ。
アフガニスタンとはだいぶ違う。ガーダの婚約者ナセルが出てくる。二人は伝統的な祝宴を
挙げ一週間のエジプト新婚旅行に行く。帰るとナセルの大家族と同居した。一年後ガーダは
妊娠していた。皆の会話からすると子供は5〜6人産むのが普通らしい。ナセルは進歩的なの
か3人欲しいという。ガーダは勿論一人しか産まないつもりだ。近代的な病院で女の子を出産
する。こういう施設は欧米の援助によるものか。

 第二次インティファーダ(2000)の時の映像が出てくる。イスラエル軍の兵士が小銃で
パレスチナ人を狙い撃ちしそれに対しパレスチナ人は投石で対抗していた。甥っ子が後頭部を
撃たれ病院で死亡する。ガーダと両親は泣いていたが皆結構冷静だ。

 ガーダとナセルはガザのアパートに長女のガイダ、長男ターレックと暮らしている。いつの間
にかもう一人生まれたようだ。ナセルは失業中らしい。ガーダは本の執筆を始める。1948年に
イスラエルが侵攻してきた時に故地を追い出された女性たちの話を書こうとしている。祖母の
話を聞いたりガザ北部のベイト・ハヌーンに住む農民を取材する。ガザ地区南部の難民
キャンプも取材する。人々は素朴でしたたかな感じがする。事実を淡々と取材しており全く
政治色が無い。後半及び付録映像はほとんどパレスチナ版明るい農村になっている。



映画 見えないほどの遠くの空を (2011)

 大学生が自主制作映画を撮る話だった。導入部がわかりにくいと思った。女優が大塚寧々
に見えたし登場人物が社会人に見えた。亡くなった恋人の幻影を追うというのはテーマになる
と思うが設定が微妙にずらしてある。

 卒業後社会人になった主人公が女優の妹に遭遇する場面では今度は学生の格好をしている。
若者たちの会話では今の社会に希望が持てず小さな幸福に逃げ込もうとしたり、それを戒め
たりしているが結局のところ今の若者の考える幸福論が展開されているようだ。

 死んだ女優は幽霊となり好きだった男の前に現れて、幸せを求めるな、見えないほどの
遠くに目標を定めて進んで欲しいというような言葉を残して消えた。

 まあ男なら南部陽一郎博士のように生きるのが面白いのではないだろうか。つまりインド
旅行なんかしないで、普通の社会にポジションを持ち全く人の考えないような事を追求して
ゆくという生き方だ。



NHKスペシャル 神の数式 (2013)
 
 ギリシャ時代から人類が考えてきた万物の理論は物理学の天才たちによって完成まで今や
あと一歩という所まで来たという。2013年ヒッグス粒子の存在が実験的に確認され標準理論が
正しいとされるようになったという。このかいつまんだNHKの説明ではわかったようなわから
ないような、殊に陽子と中性子のところで湯川秀樹博士が無視されているのが気になる。

 万物は電子とクオークとニュートリノから成ると考えればいいのだがそれらの間に作用する
力を表す数式が無くてはならない。それも極めて簡潔な式が。その辺を軸として研究の進歩を
追った番組になっている。結局式は4つ完成した。あとは重力の式が出来れば世界を記述する
試みは完成する?という。本当かなあ。



室生犀星 杏っ子

 杏っ子にピアノを買ってやった平四郎は今度はお家をせがまれる。今回ばかりは原稿料では
とても無理である。平四郎は蔵書と金沢の家を処分して家を建てることにした。庭づくり
に悩んでいる平四郎の前に雲のような男が現れる。この男が造園から大工から家の手伝いまで
協力してくれることになる。そうこうしているうちに妻のりえ子が脳卒中で倒れてしまった。

 杏っ子は女学生になり同級生らとスイーツを食べたり伊豆へ旅行に行ったりする。勿論平四郎
も同行する。平和な時間が過ぎて行く。平四郎はりえ子を大事に看病するのだが魚屋へ買い出
しに行くなど惨めな気持ちになることもある。心を和ませてくれたのは杏っ子に懐いてくる
美少女のりさ子とラジオから聞こえて来る女性アナの美しい声だった。

 平四郎の半生は修羅だったが作家になってからは家族を大事にし、ピアノと美しい女性に憧れ
を持ちながら杏っ子の成長を見守るのである。平之介の事はあまり出てこない。



映画 エクスペンダブルズ (2010)

 昔なら007がやるようなことを私的な傭兵が報酬をもらってやるという話。時代は変わった
なあと思いながら見るしかない。面白い映像が見られるが会話は別に大した事を言ってない。

 冒頭のミッションはソマリア沖でシージャックしている海賊退治で派手な銃撃戦で幕を
開ける。これが主役たちの紹介になっている。

 本編では軍の支配する島国に潜入して標的を殺すというミッションなのだが頓挫する。
危険すぎて割りに合わないと主人公たちは考える。迷ってるうちに気が変わって再び島に
乗りこむ。今度は5人揃っているが決死戦である事には変わりがない。

 いろんな要素が加えられており目新しさもあったがやはり主役たちが勝利して終わる。



山田太一 ナイフの行方

 このドラマの 元となった秋葉原通り魔事件で一つだけ言えることがある。おそらく誰にでも
(ここは検討の余地があるが)嫌な思いをした時、相手に対して殺意を抱くことはあると思う
のだが特殊な場合を除いては実行に移されることはない。K被告の場合蓄積されて頂点に達し
た殺意が拡散して一般人を対象にしたと考えられるのだが、準備して実行した時点で国家に
喧嘩を売ったことになる。

 こういう代償を伴う行為をお金のためにやる人間はクズだと思うが、K被告は自分の魂の
ために行ったのだと今回思ったのである。人間のクズよりは少し上なのだ。このように人間の
魂(精神)とは大観和尚の喝破した通りまことに厄介なものだがここは魂の錬金術の出番かも
しれない。山田太一のドラマに出てきた方法は魂の錬金術になっている。



映画 幸せパズル (2010)

 46歳になりました風に書くと、

 マリア アルゼンチン在住。二男と夫がいる。誕生日のパーティーでプレゼントで貰った
ジグソーパズルに夢中になった事がこの物語の発端となる。会話が現代的だ。肉食にこだわる
マリアに対し次男とその彼女は肉は食べないという。夫の理解は得られてないがマリアは
ジグソーパズルの世界に一歩踏み出す。

 マリアはジグソーパズルの師匠に自ら連絡を取り練習に通い始める。目標はドイツでの世界
大会出場だ。その事を夫に話すと一笑に付されるが予想どうりの反応だった。夫は妻が不機嫌
になるのを見てどんどん譲歩してゆく。

 師匠はお屋敷に住み紅茶をたしなむ知的な老人で上品な妻がいる。次男は親が土地を売っ
て贈与してくれるお金で彼女と半年インド旅行に行きたいという。マリアは反対したが父親
は容認した。大学は一年休学するという。長男はアパートを借り独立する。

 大会が近づくにつれ主婦業がおろそかになって行くマリアを見て夫が少々切れて二人は
衝突する。マリアと師匠のペアは国内の大会で優勝しトロフィーを手にする。その後師匠と
寝たマリアはドイツへ行くのを断り、白けた感じを醸して映画は終わった。

 もう一度冒頭のシーンを見るとマリアがサラミソーセージを乗せた皿を落として割った後に
その破片を並べて復元するシーンがある。そういう才能があるようだ。一つの破片が足りない
のをマリアは気にして探すが夫はもういいと言う。マリアの関心があることに夫は関心が無い。
誕生パーティーでは二人は皮肉を言い合う仲だがとっくに関係は冷えていると見ていいだろう。



映画 フリックストーリー (1975)

 国家警察の刑事(アランドロン)が脱獄した強盗殺人犯を追う。この犯人は凶悪で頭が良く
警察の裏をかき次々と殺人を犯す。狙うのは金持ちや事務所でジャックメスリーヌのようでは
あるが少々人を殺しすぎだ。刑事は相当悪どいやり方で捜査するのだが今回に限りうまく行か
ずとうとう捜査班から外される。真面目なパリ警視庁と強引で権威主義的な国家警察の対比が
あるのかもしれない。

 最後の大捕物。再び捜査に戻った刑事は密通者から情報を得、憲兵隊を出し抜いて犯人を
だまし討ちする計画を立てる。刑事ら四人は犯人の潜むレストランに高級車で乗り付け民間人
を装って食事をする。隣のテーブルで食事をする犯人を油断させる芝居を打ち最後に後ろから
羽交い締めにした。どうやら手榴弾対策のようだ。刑事の妻カトリーヌが一役買っている。
犯人は色仕掛けにはまったとも言える。

 実話に基づくドキュメンタリータッチの映画だが各所に誇張もあり鵜呑みにはできない
感じがした。



映画 東京公園 (2011)

 裕福そうな歯科医の男がカメラマン志望の学生(三浦春馬)に探偵の依頼をする。対象は
ナゾの子ども連れの女なのだが1日2万円と割りがいいアルバイトだ。東京の公園に出没する
女をデジカメで撮影して依頼主に送信する。東京の公園は自然が豊かだ。

 この映画には幽霊が出てきてその元カノ役が榮倉奈々である。学生とは幼馴染みで仲が
いい。元カノはホラー映画が好きで酒が強いという設定になっている。コミックぽいなあ
と思う。

 途中で登場人物の一人が幽霊だと観客にわかるようになっているが劇中ではみんな普通に
接している。そういえば発色がちょっと違っていた。両親は引退後伊豆大島に移住して3年に
なる。母親が入院し姉弟は見舞いに島を訪れる。バーのマスターの恋話、義理の姉(小西
真奈美)の恋話が出てくるがどうも独り善がりな印象だ。

 さてナゾの女の正体だが学生の死んだ母親と瓜二つである所まで判明する。元カノが学生に
恋の講釈をしたり、あなたはマザコンよと指摘してくる。恋の援護射撃のようだが、一般的に
男の行動原理を超えて第三者がその男の恋を支配できるという事は無かろうと思う。

 最後にオチがあって結局ナゾの女は歯科医の妻だった。浮気の誤解が解けて終わる。もう
一つのオチは幽霊の元カノが学生のアパートに押しかけて同居を迫るのだが、これにより幽霊
は成仏した。結局恋の援護射撃をした方も同じ男に恋をしていたわけだ。



映画 美しき諍い女 (1991)

 これの原作であるバルザックの「知られざる傑作」という短編小説は昨年読んでいたが導入
部が違っているので見ていて気づかなかった。登場人物はある程度一致しているようだ。マリ
アンヌはどの角度から見ても美人だ。自動車が出てきたりストラヴィンスキーが流れていたり
と設定は20世紀のようだ。神業を持つ老画家が美しき諍い女の絵を描くことになるのだが小説
では最後にアトリエごと焼き払うのではなかっただろうか。

 いよいよ制作が始まる。最初は棒立ちのようなマリアンヌだったが日を追うごとに色々な
ポーズが試みられる。ライトを少し落として横たわるマリアンヌの裸体はすごい迫力がある。殆ど
泰西絵画に出てくるそれである。それぞれのパートナーとの仲がギクシャクして来るの
だがマリアンヌはだんだんモデルとしての仕事に熱中して来る。

 とうとう絵は完成するがそれを見たマリアンヌは怒って出て行く。おそらく絵には彼女の
内面がさらけ出されているのだろう。そのあとマリアンヌは彼氏と別れようとしたり不可解な
行動に出るが思いとどまる。老画家は完成した作品を壁に埋め込み封印した。これも不可解な
行動だ。皆を集めて公開した絵は後から描いたお尻の画だった。これで一応は丸く収まる。

原作と結末も違うし芸術家が他人に配慮して真実を追求しないと云うのも変な気がした。



志賀直哉 暗夜行路 (1921〜1937)

 序詞では謙作の幼い頃の冷ややかな扱われ方、出生の後ろ暗さが述べられる。だが実際は
志賀直哉が祖父の子というわけでは無く、祖母に育てられたのは違う理由によるようだ。
第1節からすぐ青年期に入り謙作は友人の阪口の卑劣な行為に怒りを爆発させる。これは実在
のモデルである里見クに対して志賀直哉が筆で一撃を喰らわせたことになる。最初からこれと
は仕事が早いなと思った。

 第2節以降は友人と花街に出ては女と遊ぶ情景が延々と出てくる。その合間に幼馴染みの愛子
への求婚にまつわる気まずい事件の経緯が述べられる。このトラウマから謙作は女性に深く
踏み込んで行けなくなっているようだ。美しいと思った女性を見ては妄想したり執着したり
する。だが謙作は遊び上手な方では無く思いを遂げることはない。描写は映像を見ている感じ
がする位正確だ。

(つづく)