2015年の音楽生活2

ようやくSU-AX7を入手。無色透明で繊細な処はMCーL1000を彷彿とさせる。Apple
の機器に対応しており神機の称号に相応しい。




志賀直哉 暗夜行路

第11節からは洲崎遊郭での放蕩が始まる。と同時に家のお栄に対しても悶々とする日々が
続く。そこでようやく尾道行きの構想が出てくる。こういう生活と訣別し一人で自炊生活を
しながら仕事をまとめようと思うのだった。

実際は直哉が父親と喧嘩して一旦旅館に家出したもののお金がかかる為、何処か田舎で安く
住める処を探したらしい。最初に尾道に到着した日は鶴水館に泊まったという。

小説ではここからは横浜港から汽船で神戸に、三ノ宮から汽車で尾道に向かう紀行文になって
おり大変興味深く読めた。鶴水館から通りを隔てて眼に入る尾道水道と向島の描写がある。


シエイエス著 第三身分とは何か

特権身分などいなければ、高位高官の地位を、はるかに有為な者で満たすことができる
ということ。また、当然のことながら、高位高官の地位は、才能や実績を認められた者の使命
かつ報酬として与えられなければならないということ。

ヨーロッパの文芸作品や映画をみると貴族の支配力の大きさとその弊害に驚かされる訳だが、
フランス人はいち早く改革に着手した。まあそれは第三身分が武力で王政を倒すという最も
実効性のある方法で実現されたのだが。

この理念は今でも通用するしどうも日本では戦後数十年経つ間にもう逆行しつつあるようだ。
何とかしたほうがいいと思うが問題はやはりその実現方法だろう。


映画 続男はつらいよ (1969)

枕の寸劇では38年前に生き別れた母の夢を寅次郎が見る。目覚めたのはどこかの地方の
旅館である。せんべい蒲団、蒸気機関車の映像が描写に使われている。これを見るとこの映画
シリーズは文芸作品なのだなと納得する。

寅次郎が江戸川の土手に現れとらやに帰ってくる。さくらには赤子がいた。ふいっと現れ
すぐ去ろうとする寅次郎だが多分にやせ我慢が含まれている。恩師の家の前を通りがかり
お呼ばれするが当時鼻垂れ娘だった子が若い美女に成長していた。酒をすごい勢いで飲んだ
寅次郎は胃痙攣をおこし病院に入院する。病院を抜け出した寅次郎は弟分と無銭飲食→留置
場というコースを辿り周りに大迷惑をかけ再び旅に出る。

清水寺周辺で商いをしていた寅次郎の処へ旅行中の恩師と娘が偶然出くわす。正業に就け
と恩師に叱られる寅次郎だがその前に京都に居るらしい母を探して会ってから行くように
言われる。訪ねて行くとグランドホテルのお菊こと寅次郎の母はラブホテルの経営者だった。
再会した母の態度にカチンときた寅次郎は母と口論になるが口では母も負けてはいない。二人
は喧嘩別れする。

傷心の寅次郎は東京に帰り皆に慰められる。ここまで恩師の娘がぴったり付き添い
寅次郎は気を良くするが勘違いして舞い上がって行く。しかし恩師の娘には付き合っている
青年医師がいた。これはお決まりの展開で寅次郎はとらやの人々に八つ当たりしてまた旅に
出るのだった。


志賀直哉 暗夜行路

尾道での執筆活動もだんだん行き詰まってくる。按摩に通ったり向島の塩田を見たり、
おそらく歓楽街にも行ってみたのだろう。心が晴れぬまま謙作は金毘羅さんへの小旅行を
計画する。尾道からは船に乗れば簡単に行ける。阿武兎の観音、鞆の浦を巡って多度津へ
到着する。この時の謙作の身なりはみすぼらしく旅館には泊めてもらえたが、夕暮れになずむ
島々の美しい風景を見ても重い心は癒されなかったのである。

その後にこの小説の主題となるような大きな出来事が待っていた。お栄と兄に書いた手紙の
返事に自分の後ろ暗い出生の秘密が書かれていたのである。自分は祖父と母の間に生まれた
不義の子だった。この事が愛子との縁談にも影響していたのである。

まこれはフィクションだが女中と結婚しようとしたことは事実のようだ。


映画 かもめ食堂 (2006)

一ヶ月も客が来ないかもめ食堂。何故ならフィンランドの街で開業したばかりなのだ。
オーナーの女(小林聡美)は暇を持て余している。フィンランドと言えばムーミンの祖国
、ムーミン谷を訪ねて旅行中の女性(片桐はいり)がオーナーの女と遭遇する。本来ならば
かもめ食堂ならば気仙沼くらいが似合っていると思うがフィンランドの方が感覚的におしゃれ
なのだろう。その後この女性もかもめ食堂で働くことになる。

ザリガニ、ニシン、トナカイの具入りおにぎりを試しに作ってみるがそもそもフィンランド
人はお米を食べるのだろうか。次にシナモンロールを作ってみる。匂いにつられてやっと客が
来た。中年の独女(もたいまさこ)がフラフラと旅に出てきて関わるようになる。コスケンコ
ルヴァを所望する地元客が現れる。客はこの強い蒸留酒を一気飲みして倒れる。訳を聞くと
自身の不幸な身の上を語り始めた。

終盤はかもめ食堂も繁盛してゆくのだが現実とはかけ離れたファンタジーかなと思った。
もたいまさこ演じる中年女性が原作者の群ようこに見える。


映画 ウンタマギルー (1989)

戦後すぐの沖縄は米国の統治下にあり高等弁務官がやって来る。その事を沖縄民謡にして
歌うシーンが冒頭に出てくる。その歌詞が何ともシュールだ。人々の生活が出てくるが映像も
言葉もシュールでインパクトがある。

沖縄の風俗には支那のような朝鮮のような古代日本のような匂いが濃厚に立ち込めている。
それをうまく描きながら意外性のあるストーリーを展開する。これは大傑作だ。


志賀直哉 暗夜行路

中耳炎に罹患った事により謙作は急遽東京へ引き揚げる事になる。尾道を昼前に出て4時に
は姫路に着く。そこで姫路城とお菊神社を観光して9時に寝台急行に乗り換えた。新橋駅で
お栄に出迎えられ風月堂で二人で食事をする。家に帰り入浴して近くの耳鼻科に行き鼓膜切開
を受ける。幸い大した事も無く無事に終わる。兄の信行が訪ねてきてこれまでの事など話し合
うがやはり堂々巡りである。

謙作はお栄と住む借り家を信行に頼み一緒に見て回る。この様子を見るとお栄と謙作は夫婦
のような関係にすでにあると言える。

列車の車内の様子、借家を探す様子、手紙でのやりとりで小説を構成してゆくやり方は漱石
の技法を踏襲したものと言える。


志賀直哉 暗夜行路

郊外と云っても大森辺りの一軒家に移り住む。栄花という女の半生を小説にしようと試みる
が頓挫する。だんだん神経を病んできた謙作は徘徊を始め茶屋に通うようになる。兄の影響で
禅の公案集や漢籍に興味を抱くが心の問題の解決にはならない。どうも主人公は漢籍の素養も
大したこと無さそうだし、外国文学の素養も中途半端に見える。

むしろ隠遁生活に逃げ込みたいと考える謙作だがその時に連れて行くべき女性について夢想
している。何故か美人すぎてもだめなようだ。さていよいよ女郎を買う場面が描かれる。
乳房を揉んだところで前編が終わった。教育上よろしくない小説のようだ。


男はつらいよ フーテンの寅 (1970)

第3作目。枕の寸劇は中津川の商人宿で風邪をひいた寅が酔客にお酒を勧められクシャミ
をしてしまう。勧めた酔客と布団を運んでいた女中らが階段をすべり落ちた。この辺から
ドタバタ劇が定着してくる。いわゆる様式美だ。

寅次郎に社長から縁談を勧められお見合いをセッティングされるが相手はお茶を運んできた
仲居さんだった。相手の事を旧知だった寅は事情を知らず昔のことをペラペラ喋ってお見合い
をぶち壊すが、今度は自分が仲人となってこの女をその日のうちに結婚させる。二人には感謝
されるが費用を払わさられたとらやの人を激怒させ寅はまた旅に出る。

とらやの老夫婦が四日市の湯の山温泉に一泊旅行に行くとその旅館の番頭が寅さんだった。
美人の女将(新珠三千代)にまたもや横恋慕している。高望みはやめとけと言い残して老夫婦
は帰っていった。

結局女将は旅館をたたんで大学教授と結婚する事になる。その事を告げられた寅次郎は傷心
というよりはポカンとした表情で去って行く。エンディングは正月を迎えるとらやの居間で
テレビには旅がらすの寅次郎が映っていた。このパターンは割と多い。


色摩力夫著 アメリゴ・ヴェスプッチ

フィレンツェに生まれルネサンス期の人文主義的教育を受けたアメリゴ・ヴェスプッチは
天文地理学者として合計4回の航海に同行し南緯50度まで南下する。その時に幾つもの大河
の河口を観察し原住民の風俗習慣がアジアのそれとは違っている事に気付いている。これらの
事実よりアジアの一部と思われていたこの土地が新しい大陸であると推論し書簡として公表
すると広く知られるようになった。

大体こういう経緯である。コロンブスらと違っている処は宗教観に捉われない自由な発想と
人文主義的教養にあると本書では結論付けられている。その通りだろう。


志賀直哉 暗夜行路 後編

謙作は大森での生活が失敗したと考えて京都に単身移り住む。宿に逗留して一ヶ月程経った
頃貸家を探しながらお寺や美術品を見たりするうちに川縁の貸家に住む若い美しい女の事が
気になるようになった。いや気になるどころでは無く何とか近づきになってできれば結婚し
たいとまで考えている様子だ。偶然再会した高井という友人に間に入ってもらい話を進めよう
としたり鎌倉で参禅している兄を京都に呼び出して打ち明けたりする。兄は京都に伝手があり
積極的に動いてくれることになり話が何とか整いそうになる。あとは先方の返事を待つだけで
ある。京都に住む家も見つけたし謙作は東京に一旦帰る事にした。

随分長々と引っ張る割には京都ですんなり祝言を挙げることが出来た。志賀直哉が単身で
京都に行ったのは事実だが結婚相手は武者小路家の紹介による華族の女性である。簡素な
結婚式だった事も事実のようだ。


映画 凶悪 (2013)

この特異な事件は死刑囚が上申書を提出する事により明るみに出ることになる。普通なら
もみ消されるところだが新潮45の記者が一枚噛んだ事により警察と司法が最低限の仕事をし
たという話である。それと起訴され無期懲役になった主犯の男が行った殺人が類を見ない程
残虐であった事が人々の注目を集めた。そのまま再現するとコンクリート事件と同じように
テレビでは放映できないレベルになる。

日本に謎の事件が多いのは独立した権威のある機関が全く無く、もみ消しに動く組織が多い
からだと言える。


映画 神はすべて許し給う (1955)

この頃の米国は豊かで明るく安心して見ていられる。人種差別はもちろんあるが白人しか
出てこないし、朝鮮戦争は影を落としているがベトナム戦争はまだだし、デトロイトもRCAも
まだ健在である。白人の中流家庭が舞台でテーマは未亡人の恋だと思う。中流と云っても
クラブでの社交パーティーがあるエグゼクティブなクラスのようだ。

40代だがとても美人の未亡人には言い寄ってくる年配の男性が何人も居て困惑する。未亡等
が恋したのはハンサムで長身の年下の庭師だった。二人はデートを重ね結婚の手前まで行くの
だが周りからはゴシップ扱いされ子供たちからも拒絶される。ショックを受けた未亡人は別れ
を選択する。結局みんなでこの結婚を潰したわけである。

周りが騒動を忘れた頃未亡人は主治医のアドバイスもあり復縁しようとするが、すれ違いに
より庭師は事故で意識不明となる。悲劇的に終わるかなと思ったが未亡人の付き添いの下庭師
は意識を回復して終わった。


映画 秘剣ウルミ バスコダガマに挑んだ男 (2011)

史実の部分は少しだけだと思うがポルトガルのやり口がある程度わかる。インドの香辛料
をペルシャや本国に持って行き大金を得るのである。最初は友好的に取引し二度目は戦争して
征服、略奪する。インド映画なのでやられる方は末裔が演じていることになる。映画自体は
パイレーツオブカリビアンみたいな娯楽映画だった。


志賀直哉 暗夜行路

京都衣笠村での夫婦生活は平穏無事に過ぎてゆく。相変わらず小説の方は筆が進まない。
謙作は友人らと花札をしたり鞍馬の火祭り見物をする。火祭りから帰ってみると男の子が無事
産まれていた。この赤子は丹毒から背中の蜂窩織炎まで進み危篤状態になる。謙作がシュー
ベルトの魔王を聴いたこと結びつけて動揺する場面がある。

お栄は外地から帰ってくる。向こうでは泥棒にやられたり騙されたりして無一文になって
しまった。謙作はお金を工面してわざわざ朝鮮まで迎えに行き観光もして来る。その間に妻の
直子がいとこの要に犯されたのである。

暗夜行路ってこんな話だったんだ。後味が悪いストーリー展開になっているが結局素材は
あるもののなかなか筆が進まなかった理由が分かるような気がする。


ミニパワーアンプのP3が低歪み化出来たので聴いてみた。第3の神機としてどうやら君臨
できそうだ。音の消えゆくエッジが美音としか言いようがない。立ち上がる響きも美しい。
バイポーラアンプでこのような音が出たことがないのは確かだ。




ちなみに第一第二はSITパワーアンプ、SiC MOSパワーアンプの事である。個人的にはSIT
の方が良いと思う。


志賀直哉 暗夜行路

梅雨時の或る日友人と家族とで宝塚に遊びに行くことになる。京都七条の駅で汽車に
飛び乗ろうとした直子を謙作は突き飛ばしで怪我をさせた。気の短い謙作が瞬間的にカッ
となった訳だがこれで完全におかしくなった。この後謙作はハッとする言葉を発している。

「あれは(尾道行きのこと)出来ない仕事を無理にやろうとして失敗したが、…」

尾道での生活の事をこのように総括していたようだ。

「俺も…迷わず成仏出来ると云うものだ」

いまの状況と有るかも知れない自分の死を示唆しているととれる。

修行のため謙作は一人で大山に行くことになる。京都を立ち蓮浄院に至るまでの紀行文には
旅を楽しんでいる余裕が感じられる。金毘羅さんの時とは全く違う。今回は友人の里見クとの
気ままな旅行が下敷きとなっておりその気分が出ているのだろう。


新・男はつらいよ (1970)

枕の寸劇は山梨県の峠の茶屋での情景だ。茶屋のおばあさんにハガキを届けに郵便屋さんが
やってくる。読み上げられた孫からの便りに心を打たれた寅次郎は茶屋代を多めに渡して
去って行こうとするが20円不足していた。慌ててバスに乗った寅次郎は乗客とドタバタを演じ
るという落ちだ。

名古屋の競馬場で大穴を当てた寅次郎は豪勢にもタクシーで名古屋から帰ってくる。集まっ
た近所の人たちに自慢げに100万円を見せた寅次郎はとらやで宴会を始める。とらやの老夫婦
に恩返ししようとハワイ旅行をプレゼントするが旅行代金を代理店に持ち逃げされた。この
事で老夫婦と言い争いになった寅次郎はヘソを曲げてまた出て行く。

一ヶ月後フラフラと帰ってきた寅次郎は二階の部屋が人に貸されていた事に腹を立て
また出て行こうとする。しかし間借り人が映画女優のような美人教師(栗原小巻)だとわかる
と途端にお調子者に変貌して東京に居座る事になる。お約束の展開である。

浮かれた寅次郎は恋人気取りの行動をとり周りを呆れさせるが結局失恋し夜の門前町を
何処かへ一人去って行く。この情景はまるでシューベルトの冬の旅の第1曲のようだ。映画で
見れるとは思わなかった。


 自然保護区のようなところを歩き回るのはやはり楽しい。今日も1時間半歩いた。


映画 アメリカンヒストリーX (1998)

あれから40年、アメリカはひどいことになっていた。町では黒人が幅を効かし犯罪を
犯したり公的な職に優先的に就いたりしていた。人種差別撤廃運動の成果と言える。

ある白人消防士が消火活動中に黒人に射殺された。その黒人は売人だった。長男デレクは
密入国者を叩く白人グループに所属し暴動を指揮したりしていた。ある夜自宅前の車を盗もう
とした黒人2名をデレクが殺してしまう。彼は三年の懲役刑を食らうが服役中に体験した
ことは白人にも腐った奴がおり黒人にもいい奴がいるという事実である。このことが彼の考え
を変えるきっかけとなった。デレクは白人グループを扇動していた男がまさに腐った奴だと
気付き、出所後グループを脱退する。デレクはまともに働き家族を守ろうとするのだが憎悪
の連鎖の端っこがまだ残っていた。ネオナチに傾倒していた弟も兄の教えに従って白人グルー
プとは距離を置こうとしていた矢先黒人少年に射殺されたのである。

この映画にはいろんなスタンスの白人が出てきている。

消防士だった父親 ハイスクールの校長が黒人である事に危機感を抱く。実は校長は物凄い
インテリで父親は俗物である。長男が洗脳教育を受けていると危ぶむ。

歴史教師 母親と付き合っていたがデレクに叩き出される。弟のレポートに驚き校長に報告
する。常識的な考えしかできない人物のようだ。

キャメロン 白人の若者を扇動し黒人グループと対立させる。その目的はよくわからない。

セス 白人グループの一員。害虫駆除の仕事をしながら活動に勤しんでいる。デレクの
友達。

一方黒人は

校長 博士号を二つ持ち黒人文学を教材にリベラルな教育を行っている。

ラモント デレクの刑務所時代の同僚。デレクを黒人から守ってくれた。

1992年のロス暴動についてのディスカッションが出てくるが皆んなの意見はバラバラとい
う感じで白人の間でも平行線となる。この問題について正しい答えを持ち合わせている政府も
無いし知識人もいないと考えたほうがいいようだ。


志賀直哉 暗夜行路 読了

お寺の書院造の部屋に落ち着いた謙作は修行するでもなくただぶらぶらと阿弥陀堂へ
散歩したりタバコを買ったりほんの少し文章を書く毎日だった。食事が良くないのが不満では
あったが人が訪ねて来ない分気持ちが純化されてきた。殆んどと言っていいくらい村人とは
交わらない謙作だが噂話位は寺の娘から聞くことになる。屋根葺き職人の男の妻が悪妻で
複数の間男と交渉し最後は刃傷沙汰になる話を聞いて胸が悪くなったり、アポなし訪問の図々
しい坊主に激怒したりする。クライマックスには大山の登山が設定されていた。登山から
帰った謙作はそのまま寝込んでコレラか何かで頓死するかしないかの処で小説は終わる。

物語としては弱く女の心理描写も定型的で蘊蓄も薄っぺらい小説と思う。主人公の心理描写
と洗練された文章はさすがだと思った。


映画 理想の恋人.com (2005)

離婚した男女がネットで婚活して最後は結ばれるというラブコメである。導入部が分かり
にくく最後まで誤解して観てしまった。主演のダイアン・レインは超絶美人だがこの映画では
普通のおばさんに見える。主演の男もなんだか感じが悪い人でどうして二人が惹かれ合うのか
共感できなかった。映画化に際して脚本と配役に失敗しているのではないだろうか。


室生犀星 杏っ子

中断していたが 続きを読む。杏子にテニスコートで知り合ったボーイフレンドができる。
二人の姿を見た平四郎は遠巻きに観察していたがある日ボーイフレンドの母親が突然訪ねて
来た。うちの子とのお付き合いをやめていただきたいとの申し出に平四郎は憤りをこらえて
対応したが、すぐ反撃に出る。こちらから訪ねて行きそちらこそ交際をやめていただきたいと
言って帰ってきた。

夕陽と散歩と住宅街が出てくる平和な日々に起こった小さないざこざという感じだ。暗夜行
路が結構修羅の世界なのに比べなんとのどかな世界だろう。


映画 テンミニッツオールダー 人生のメビウス(2002)

久しぶりに映画らしい映画を観た。7人の監督によるオムニバスだがトランペットの音楽に
よって導かれるプロムナード形式になっている。

アキ・カウリスマキ 『結婚は10分で決める』
中年の男女が幸せを掴むため舵を切る。商売をたたんでプロポーズしてシベリアに移住して
そこで就職してというコースだが、結婚指輪を買い長距離列車に乗っているところで映画は
終わる。祖国がまだあるか見ていたいと車窓で主人公がつぶやく。どの国から出て行くのか
は乗車券を買うときの貨幣の単位で判明した。目的地はイルクーツクだがどういう生活が
待っているのだろう。

ビクトル・エリセ 『ライフライン』
聖母マリアと母と子が出てきて象徴的な映像がモノクロームで細切れになって出てくる。
ベルイマンの作風を思わせる。最後になるまでどういう結末が来るのかわからない。母と子と
血と精霊が主題のように思えた。

ヴェルナー・ヘルツォーク 『失われた一万年』
ブラジル奥地に住むウイルウ・ワウワウ族とのファーストコンタクトとその後の彼らの暮ら
しが映像化されている。結構本物っぽく撮れていて興味深かった。文明が入ると人間は生き生
きと暮らせなくなるというのは真理のようだ。

ジム・ジャームッシュ 『女優のブレイクタイム』
ヴィム・ヴェンダース 『トローナからの12マイル』
スパイク・リー 『ゴアVSブッシュ』
チェン・カイコー 『夢幻百花』


映画 男はつらいよ 望郷編 (1970)

枕の寸劇はファンタジーというか寅の見た夢である。おいちゃんが死の床にありさくら
たちに看取られる。目をさますとそこは田舎の安宿だった。寅は雨を嘆きながら縁側から
転げ落ちる。少しドタバタが入っている。

ある夏の日のとらや。ワンピース姿のさくらが乳母車を押してやって来る。みんな暑さにやら
れ夏バテ気味だ。そこに上野からタクシーを走らせ寅が帰ってくる。冗談が元で寅が先走りし
とらやに又もや大迷惑をもたらす。

先立つものが無いので寅は苦しい。妹から借りたお金で札幌の親分の病床ををお見舞い
する。 息子を親分の死に目に合わせようと寅たちは奮闘するがままならない。息子はD51の
機関手だった。息子の身の上話を聞いた寅は堅気になる決心をして東京に帰ってくる。

就職活動に失敗した寅は江戸川のべかぶねでふて寝をするうちに下流に流されてゆく。
しばらくすると浦安の豆腐屋で油揚げをあげる寅の姿があった。働く寅の姿を見たさくらは
安心して喜ぶがそれは束の間のことだった。豆腐屋の美人の娘のことで傷ついた寅は早朝
浦安を立ってゆく。浦安の運河の映像が少しだがでてくる。これは青べか物語のリスペクトが
含まれているのではと思った。やはりこれは現代の文芸作品だ。

亡霊のように柴又に現れた寅は社長と喧嘩してまた旅へと出て行くのだった。


映画 トークトゥハー (2002)

現代スペインのちょっとストーカーぽい物語だった。母を長年世話をしてきた青年ベニグノ
は母を亡くしたあと天涯孤独になる。バレエ教室で見かけた美少女アリシアをつけ回し警戒さ
れるのだがすぐに交通事故でアリシアは植物人間になってしまう。ベニグノは経歴を生かし
彼女の看護人になる。彼女と会話したのは二度だけだったが彼女がサイレント映画と旅行が
好きな事を聞いていたベニグノは眠ったままの彼女に似たような体験をさせることを日課と
していた。だがベニグノは自分をホモセクシュアルであると偽り、周りを油断させておいて
当直の夜に彼女と性交に及んでいたのである。やがて彼女の妊娠によってそのことが明るみに
出る。ベニグノは逮捕され刑務所に入れられるが脱走して自殺した。

最初に出てきたピナ・バウシュの舞踏と女性闘牛士の話はあまり本題とは関係がなかった
ようである。女性闘牛士は牛にやられて重体となりアリシアの隣の病室に入る。彼女の彼氏が
ライターのマルコである。マルコとベニグノは友達になりベニグノの収監後は支援する
立場となる。美少女アリシアの前では木の葉の船のようなベニグノだったがロミオとジュリエ
ット的な仕掛けも登場する。アリシアが意識を回復し社会復帰したことを知らずにベニグノは
自分も植物人間になろうと服毒自殺する。残された手紙でその事を知ったマルコだが結局
止めることが出来なかった。

マルコはベニグノの家に住むことになったが今度はマルコがアリシアに接近しようとする
処で映画は終わっている。後日譚なのかストーカーの連鎖なのかは曖昧に描かれている。
伏線としてマルコがアリシアの裸を見に来たりしていたというのもある。

映画に出てくるスペインの音楽、お酒、美術はなかなかいいものだと思ったが、現代スペイン
の富裕層はそれなりにいい暮らしを享受しているわりに軽薄な印象を与える。例えて言うなら
きれいに磨かれたメキシコという感じだ。


YAMAHA HCA回路採用パワーアンプ CA4



どんな音なのかじっくりと聴いてみた。ノンスイッチング動作は間違いなく行われている。
音の滑らかさがありえないほど聴き取れる。ナノ秒の魔術師と言えるようなことを回路が
やっているのだ。また静かなアンプでありクラシックでは良さが出る。コレクタ出力なので
低音は少し過剰に出る。NFBが多量にかかっているためか音像が圧縮気味に感じる。音色は
東芝のC5200のもっさり感があるためかP3のような明るい感じは無い。

終段をエピタキシャルの石に変えて全段ディスクリートのアンプにするとより良いアンプ
になると思う。現在製作中である。


映画 ホワイトアウト (2009)

FBI連邦保安官のキャリーは南極のアムンゼン・スコット基地で殺人事件に遭遇する。元々
腕利きの捜査官だったキャリーは捜査を開始、自身も命を狙われ第二第三の殺人事件が起こ
る。犯人らしき人物はキャリーらに捕らえられるのだが逃げ出して再びキャリーの命を狙う。
基地の外で乱闘するのだが猛吹雪によるホワイトアウトにより命綱から外れると命はない。
予想通り犯人の男は最後に吹き飛ばされ氷原へすっ飛んでゆく。

犯人の狙ったものは旧ソ連の大量のダイヤモンドで死体の中に隠されていた。縫合糸から
隠した人物がわかるのだがキャリーの指を手術してくれた老医師だった。キャリーに見破られ
た老医師は観念して自ら吹雪の中へ出て行った。

なんか分かりにくい話だったが結局この事件には仲間達がいて口封じのために全部殺された
のだろう。老医師がキャリーを殺すのは容易だったに違いないが何故だか殺さなかったのだ。


2N3055 HCA アンプ



シンプルな方がまず完成した。バイポーラでこんな音が出るとは。まるでSITのような
柔らかい音だ。

(つづく)