2013年の音楽生活6

  HCA回路採用ミニアンプ

  HA-4a HCA をHP-RX500で音質を充分確認し今回のプロジェクトにGoサインをだす。シルクスムースな音質だ。
どうしてこうなったかは粗方忘れてしまったので同じ定数で作る。






  片chできたところで特性をとる。飽和させると発振した。



  両ch組み上がったがやはり発振するようだ。


  HCA回路を反転アンプにしてみる。


  ゲインが小さくはなるがこれだけでも動作する。音は大変いい。



  結局ゲインだけオペアンプで稼ぐという回路にした。






  もう一台作りたいので薄型アンプに組み込んだ。こちらはオペアンプなし。



安部公房の論評せる映画

地下水道
白夜
宿命
楢山節考
死刑台のエレベーター
眼には眼を
忘れられた人々
つづり方姉妹
黒い罠
気違い部落
現金に体を張れ
魅惑のパリ
パリの休日
静かなアメリカ人
東京1958
スパイ
平和の谷
戦争と貞操
アンダルシアの犬
糧なき土地
サレムの魔女

  このうちすでに観たものが5つ。残りはこれから見てゆこうと思うが、何しろ古いものが多いのでそう簡単
には行かないかもしれない。


  安部公房も映画論に熱弁を振るっていたが勝手に要約するとこうだろう。

  物の見え方の不条理を追求したのがダリやマグリットであり、社会の見え方の不条理を追求したのが
カフカ、社会そのものが不条理だというのは寓話またはリアリズム、社会が愛にあふれて美しいというのが
一般向け物語または商業主義または偽善。

  映画では社会の見え方の不条理も追求できるし(例カフカの城の実写版)、認知の不条理の追求も
できる(例マルホランドドライブ)。ある意味万能なのであるからその特性を理解して映画を作るべきなの
である。


  映画  HANA-BI

  ぱっと見では現代日本で昔のシチリア並みのことが起こっているというのがテーマかと思ったがそうでもない。

   余命いくばくかという元刑事の妻が終始実存モードで、元刑事も実存モード、同僚刑事も同調するかのように
実存モード、妻子に去られた退職した刑事も実存モード、ヤクザだけが元気な日常モードだ。

  相手が実存モードと知らずにかかってゆくヤクザは不意をつかれて元刑事にやられてしまう。だが二回目からは
いくらなんでも警戒するのではないだろうか。最後まで日常モードで無防備に向かってゆきあの世に送られる。

  元刑事と妻は実存モードのまま生を終える。日常モードに引き戻されると途端に美学が無くなるのでこれは致し方
ないか。


   シュール・ドキュメンタリズム

  安部公房の言うこの有望な方法は、例えば世の中の出来事を記録してゆけば思いもかけなかったような
シュールな構図が浮かび上がってくることがあるということだ。

  これが安部公房の小説にもたびたび現れるあの新聞記事である。

  フィルター無しで記録してゆくことが重要で、常識や固定した世界観を持って記録したものには価値はない。

  ただそうは言っても受け取る側の感性に左右されることが多いのも事実だ。矢沢永吉のありよさらばという
歌も私から見れば本当にありさんに挨拶しているシュールで礼儀正しい歌に聴こえるのだが、一般的には人間を
揶揄した歌と解釈されるのである。

 こういう感性がないと安部公房の文学も意外とつまらなく感じるのかもしれない


  道――トラックとともに600キロ

  これはマルクス主義者安部公房が書いた社会学の小論文である。相当興味をそそる代物であるが案の定
冒頭からジェルミソーナが出てきたりする。勿論近代化の遅れたイタリアと対比するための小道具にすぎない
わけだが、当時の日本も相当遅れていたらしい。なにしろ東京―大阪間の一般道路(まだ高速道路は構想段階
にすぎない)の舗装率が5割程度なのである。トラックに同乗した安部公房も相当悪路の振動に揺られたらしい。
終わってから酒を浴びるほど飲んだそうだ。

  長距離トラックの定期便の性格を持つ勃興期の通運業と斜陽化しつつある鉄道輸送の関係を念頭に置きながら、
利権を守るために意地悪をする国鉄対近代以前の業務体制に苦しむ通運業というスタンスで論旨を展開する。

  マルクス主義者安部公房の筆鋒は鋭く利権に群がる業者と腐敗した体制を突くが、オリンピック後に急速に進んだ
モータリゼーションまでは予見していなかったようだ。

  いまでは欧米諸国と比べても笑ってしまうほどの舗装率に日本はなってしまった。ヨーロッパ空撮紀行を見ると
よくわかる。


 黄金道路

  道の五年後に書かれたレポート。すでに長距離路線トラック業種は近代化され昔のような猛獣使い旅芸人から
面目を一新し安部公房を驚かせている。そこでクローズアップされてきたのがダンプカーである。交通事故数増加
の主役であり労働環境も一昔前の劣悪さである。

  結論としては労組の結成と経営者の意識改革が望まれるというありきたりなものだったが、シュール・ドキュメンタ
リズムの手法が多用された興味深い作品だ。


 生きている辺境

  どうやら安部公房も辺境萌えの一人のようである。ただ彼は北海道と満洲に関係があるのに対し私はそんなものは
無い。実際に満洲の地に立ちここで年を越すなどと考えたなら恐怖で怖れおののくに違いない。

  さて彼が気に入った辺境は北海道の釧路から根室にかけての沿岸部である。どす黒いとまで表現している。強風に
さらされて木も長くは生えられない沿岸部、少し中に入れば森と湿地帯という人が住むには過酷すぎる土地である。
それでも人が住んでいるがいったいどうやって生活してるのだろうと想像をめぐらせている。たしか映画では森繁久弥
主演の知床を舞台とした「地の果てに生きるもの」を見たことがある。ある季節だけ人が集まり漁を行いふだんは番屋に
番人がいるだけという生活である。とても個人で自給自足できるような所ではなさそうだ。

  安部公房も釧路を舞台とした小説を構想していたようだがどうも書かれた形跡はない。


DAT モントルージャズフェスティバル1986

  BS2からデジタル録音したテープをTCD-D8というDAT WalkmanとK79SEPPヘッドホンアンプで聴いている。
昔はBSチューナーのデジタル出力からデジタル録音が出来たものだった。

  びっくりするほどの違いがあるわけでは無いがCDにあるような強調感の少ない透明な音だ。今となってはこういう
楽しみもごく一部のオールドマニアのものだけになってしまった。


映画 審判  監督 オーソン・ウェルズ 原作 フランツ・カフカ

  これは思うに大人の社会の不思議の国のアリスではないだろうか。主人公が逮捕状態という穴に落ちて、
導くものが次々と現れては消える。逮捕状態なのに比較的自由に行動している。美人がたくさん出てくるが
大抵はお偉方のものだ。その美人たちが主人公にちょっかいを出す。画家の話を聴いていると書類は永遠に
部署をぐるぐる回り、免罪されては逮捕、免罪されては逮捕が続き最後は逮捕されるという。これは治らない
病気の暗喩だろう。最後に秘密警察が現れて彼を採石場に連行し処刑した。


   映画は得てして演出もあり時代も昔なので「地の果てに生きるもの」をうのみにすることはできないだろう。
現代の知床事情はBS朝日 日本風景遺産 「オホーツク回廊 知床」 を観ればよくわかる。ウトロの北に番屋
があり5月〜11月に定置網漁が行われる。一帯は霧が出ていてヒグマやキタキツネが普通に歩いている。鮭、
鱒がどっさり取れ自家発電で生活しちゃんちゃん焼きを食べる。野菜は持ち込むのだろう。世界自然遺産に
登録された今では定住は不可能だしこの番屋も解消の方向に進むのだろう。

  釧路から根室にかけては根室本線の車窓風景と空撮からなる番組によって確かめることができた。道路の
状況もYou Tubeで見ることができる。道路を囲むようにして植林がされており快適なドライブが可能になっている。
どす黒さは全く感じられない。


  事件の背景

  熊本県阿蘇郡で計画された下筌(しもうけ)ダムをめぐって起こった反対運動のルポである。反対運動の主導者
室原智幸氏と建設省、県、九州電力の間に生じているさまざまな事象を淡々と調べ上げてまとめたものだ。だが室原氏
との面会は実現せず、事件も途中までの経過しか記されてはおらず真相はどうだったのかも曖昧模糊としたものである。

  だが取材の成果もあったようだ。マスコミも知らないような新事実の証言もいくつか得たようだし、県職員のコメント
は安部公房の小説に出てくるセリフまわしそっくりだった。

安部公房 「今度の事件に対しては、どういう見通しを立てているんです?」

職員    「そうですねえ・・・・なにぶん室原さんとは、連絡の方法がまったく絶たれているものですから・・・・」

安部公房 「すると、なりゆきまかせなんですか?」

職員    「とんでもない!」といささか狼狽気味に、

       「むろん、県なりの見解はもっています。しかしそれがどういうものであるかは、残念ながら、いま
        申し上げるわけにはいきません。いえ、秘密だというわけじゃない。秘密ではないが、それが外に
        もれることで、目的が果たせなくなっては困るということですな。」

  こんな感じである。また取材により里の風景にも触れることができ、室原家の家族の人生の一端も見たわけで
あるからこれを単なる資料と考えれば川端康成のような小説も松本清張のような小説も物にすることができたかも
しれないのである。しかしそうはならず結局ルポになった。


映画  北国の帝王

  時間を費やして観てしまったがどう評していいのだろう。マルクス主義でもないし反スターリン主義でもない。
単なる娯楽作品にしても後味が悪すぎる。主人公のAナンバーワンがスキルがあって律儀な男であることはわ
かったがこの斗いが意地の張り合いに過ぎないような気もする。誰も何の利益も得ていないのだ。



  Freecell連勝記録 いまのところ22連勝




  山本文緒  ファースト・プライオリティー

  31才女子の生活や恋愛の諸相を網羅した短編小説集。発想が斬新でずんずんと読めてしまった。最後にある
小説という短編に面白い文章があった。

   別居を始めて何度か夫と話し合った。そして話し合えば話し合うほど男女の仲は駄目になってゆくことを知った。

  この指摘はなかなか素晴らしいものと思う。男女の仲が続く秘訣がこの中にある。


  映画 眼には眼を

  レバノンの診療所で働く裕福なフランス人医師が宿直の研修医の誤診により亡くなった女の夫から逆恨みされ
るというストーリー。子宮外妊娠なので病院に送るべきだったようだ。美人の妻を亡くした夫は生きる望みを無くし
たが自分が死ぬのなら相手にも死にたいと思うような目に合わせようと目論む。

  男はフランス語教育を受けたレバノン人で不思議な行動をとる。つけ回すと見せておびき寄せたり、相手の窮状に
手を差し伸べたりするがとうとう医師を交通が隔絶した村におびき寄せる。

   タイヤの抜かれた車と蓄音機から流れるアラブの音楽の組み合わせは映像的にとてもシュールだ。最後の場面も
名状しがたいシュールさがある。不条理と辺境萌えの要素が楽しめる映画と思う。

  この男は実存モードに入っているわけだがどうやら実存モードとは自分の心に脳が一点集中してしまうことのようだ。
実存モードから抜けるには自分の心があまり見えなくなればいいのだが、外界に注意が行くことで抜けられる場合がある。
普段から自分の心を見ないようにすることもいいかもしれない。


BSフジ シルクロード物語  最終話  インド〜仏教のふるさと 天竺

  これ自体現代の取材映像とナレーションだけの安易な作りなのだが、玄奘三蔵と仏陀の軌跡をたどるというものだ。
ブッダガヤのマハーボーディー寺院やカイバル峠の映像など興味深い。どうも仏陀は自ら実存モードに入って抜け出し
ただけのような話のように見えるのである。それなら最初から日常モードのままで良いではないか。インドの人々がヒン
ズー教に回帰したのもこういう理由があるのではないだろうか。


 上利博規 著 「人と思想 デリダ」

  デリダはアルジェリア生まれのフランス語教育を受けたユダヤ人という出自をもつ。そのため幼少時から実存モード
に親しんでいる。自らを異邦人として意識していたらしい。したがって、

  異邦人――> アポリア ――> 実存モード ――> 哲学

 という道をたどるのは容易に想像できる。アポリアとは出口なしという意味である。

  パリの高等師範学校を卒業したデリダは留学と教職を経ながら、フッサールの現象学を研究対象として理念、伝達、文字
の概念を追求するうちに哲学を超えてしまったと考えられる。

  理念とは例えば幾何学のようなものであり、どの言語によってでも後世に伝達できる。しかしデリダにとってはユダヤ人として
のアイデンティティが自分の中で記憶によっても文字によっても復元の難しい痕跡のようなものになっていることが許せないので
ある。

  理念 ――> 文字化 ――>  後世での復元

  アイデンティティ ――> 文字化 ――> 復元不可能

  アイデンティティが継続されるためには世代間での継承が不可欠になる。キリスト教に改宗しフランス語教育を受ければ、もはや
ユダヤの伝統は文献でしか知ることはできなくなるという危機感をデリダは抱いたに違いない。しかし他の場所にコミュニティーが
残っていれば、再継承は可能となるだろう。これがアポリアからの出口の一つである。デリダはエクリチュール(書くこと)にこだわ
りすぎてこのことを見落としていた可能性がある。

  エクリチュールによるイデアの伝達性は認めたものの、そこには微妙な夾雑物があり、むしろそちらに焦点をあてるのがデリダ流
なのである。もうその辺から哲学ではないのだが哲学の懐は深いので又それも哲学ということになる。

  真理や効率に向かって一直線という態度に対して異議を申し立てているかのようだ。そこには善と悪という概念の代わりに
異邦人的であるかそうでないかという判断基準がどうやら成立しているらしい。


  映画  海辺の家

  余命数ヶ月の建築模型士が首を言い渡されて実存モードに入ったところから話が始まる。男は意外と冷静で、生涯に一度
建てたかった家を息子と一緒に建ててから死のうと考える。つまり夢の実現と時間切れを狙ったよくある手だ。
  ぐれてしまった息子を手懐けるのにも一苦労だが、周囲の協力もあり何とか完成までこぎつける。実際はそのちょっと前に
死んでしまったが。

  理想が実現してひとときの時間が余ったという方が本当は幸せなのだけどこの場合は仕方ないだろう。これを参考にして
自分が実存モードに入った時のために短期で実現可能な夢を一つだけとっておくというのもいい。


 パミール高原

  パミール高原は険しい山脈に囲まれた高原で氷河の雪解け水だけが人間の生存を保障している半乾燥地帯である。
渓谷では灌漑農業と牧畜が行われる。水の少ない高原地帯にはテレスケンという灌木が自生しているがソ連崩壊の余波
で電力、石油燃料の供給不足が起こり、テレスケンは薪として乱伐されて高原の砂漠化が進みつつある。

  国連PALM計画はこの問題の解決を目指すプロジェクトらしい。国連大学制作の動画でそのことを知った。

  解決法はすでに明らかになっており住民に電力と燃料を供給し牧草地を復活させ家畜とのバランスを取ることで実現で
きるがこれはどこかで見たような光景だ。そう砂漠化が進む内モンゴルとそっくりだ。


  ロンドン・コーリング

  DVDに録ってあったので再生してみるとThe Crashの軌跡を描いた番組だった。最も偉大なアルバムBEST500(米ローリング
ストーン誌)の第8位のアルバムがロンドン・コーリングである。

  ロンドンのラジオ放送局から世界に向かってあるメッセージが放送されるというのがロンドン・コーリングの意味である。

  ロンドンにおいてヒッピーとパンクが結合して勢いを持った時代の話のようだ。英国政府は囲い込みが得意なようで権力
は金持ちのものになり下層民もパブリックスクール出の秀才も利権にありつけなければ一生プアーなままであるという状況
を暴動によって壊そうという運動がパンクなのであるらしい。

  日本の場合はこういった現象は見られず、ある誘導によりヒッピーは消滅しワープアが残った。ワープアは貧困を恐れ政府
にすがりつく心情を刷り込まれてしまった。金がなくてもいいじゃないヒッピーなんだものという精神の復活が望まれる。


  ノバヤゼムリヤ島

  BSニュースで映像が見れた。ロシア軍が毎年ここで新兵の訓練をするらしい。空港や基地が建設されている。もっと驚いた事に
ここで生活している原住民もいるらしい。基地は電気も暖房もあり快適なところのようだ。ここで訓練を受けチクシなどに配属先されて
ゆくのだろう。

  調べると怖いことがたくさん出てくる。これ以上深入りするのは危ない場所だ。辺境萌えなどとは言ってられない。




  スカイライン風のセダン


  安部公房  カンガルーノート

  主人公の寝ている手術用ベッドが走り出して坑道のような穴に落ちた。やっぱりこれも不思議の国のアリスなのでは
と思いつつ読みつづける。聴いている音楽はロンドン・コーリングである。サウンドは軽めだ。

  ちょっと気になってドナルド・キーンの解説を読んでみる。小説を読みながら何度も吹き出したとある。えっ、安部公房
の暗鬱なユーモアで吹き出すなんて無いと思うが。さらに読んでゆくと鏡の国のアリスとある。意見が若干違うか。

  点滴バッグがいつの間にかオスの烏賊爆弾になりメスの烏賊爆弾を迎えようとしていることに主人公が気づき慌て始め
るくだりではさすがにシュールな笑いが込み上げてくる。なにもこんな手の込んだ暗示方法を仕掛けなくとも。

   この小説は7つの奇妙な夢からなり自走式手術用ベッドでその間を移動する構成になっている。食べ物が次々と出
てくるのは入院生活でひもじい思いをしたからなのだろうか。堅焼きトースト、ミックスサンド、チャーシュー麺、たい焼き、
ビールと玄米パン。元気になって退院したらピンクフロイドでもじっくり聴きたいと思っていたらしい。

  空耳、空目、行政が介入した地獄地区などアイデアに満ちてはいるが、時事ネタ、固有名詞が出てくるのは今までの作風
と違うようだ。

  映画にすると素晴らしい物になる気がする。


  松谷健二  ヴァンダル興亡史

  ゲルマン民族の大移動と西ローマ帝国の滅亡について目に見えるように理解できた初めての本だ。ヴァンダル族
を率いるゲーゼリックが故地を出発し、ジヴラルタル海峡からアフリカを望む場面はなるほどなと思う。

  生存をかけた営みが利権の追求に変貌し、利権の追求が生存をかけた営みと言いくるめられる。

  世界史を一文で表現するとこうなる。

  シュメール人のところでも書いたが人々が豊かに暮らしているというだけで、その富に目をつけた略奪者が現れ、
それらを最後には殺して奪うつもりだがその前に・・・と考え始めるのが人間の営みの普遍原理なのだ。

  ・・・とは、うまく支配者に収まって税を徴収しようくらいから始まって、いろんなレベルが存在するが、うまく脅かせば
お金や命まで差し出すところまでゆくのが我々人民の性なのだ。

  あらゆる為政者からブラック経営者、犯罪者までこの原理を応用して行動しているのである。世界史の勉強が役立つとすれば
それらをすり抜けて幸福をつかむ方法を知ること以外にはありえない。


  BS日テレ インド 神仏の道をゆく
  
  インド最北部チベット密教の聖地レーからマナリまでの500km、すごい道だ。大体アスファルト道路のようだった。映像で
見れてうれしい。

  シーク教の総本山アムリトサルでは信者の男がこう言っていた。「あるがままに生きよ。自分を変えてはいけない。」

  こういう教えらしい。修行して覚醒するという仏教より簡単そうだ。シーナ・アイエンガー教授もシーク教徒だっけ。

  ベナレスはいまではワーラーナシーと呼ばれている。そのもっと東にブッダガヤはある。


 映画 忘れられた人々

  メキシコの都市に生きる底辺層の少年たちを描いた実話に基づく映画。一応経済は発展しているようだがそれとは無縁の
人々もいる。学校に行けない彼らには町で働くか不良少年グループに入るかのどちらかしか選択肢はないので、まじめな子は
現場で働いて一家を支えるし、そうでない子は不良にくっついて犯罪を犯す。警察、感化院などの公共の仕組みもあるがそれ自体が
やる気がなさそうな印象をうける。もめごとばかり起こすクズのような少年は二人殺して最後に不思議な力のようなものであの世に
送られる。短絡的な話の進行に違和感を覚えたが、このクズのような少年だけが結局将来大物になったような気がする。


  スティーブ・ジョブズ  ハングリーであれ!愚かであれ!

  これは重要な問題を含んでおり簡単には論じられないテキストだ。一つだけ言及するならば彼が貧しかった学生時代
わざわざ遠くのハーレクリシュナ寺院まで行って温かい食事をもらっていた話がとても印象的だ。

  ハーレクリシュナの歌声はキー・オブ・ライフのPastime paradiseに出てくる。冒頭には銅鑼の音の逆回転も入っている。
これを聴くたびに若いころのジョブズが偲ばれる。


  甲骨文字の木簡は出土していないので最古のエクリチュールはシュメール人の残した楔形文字による文書ということに
なる。すでに解読されており内容はというと「文明とは何か」という問いの答えがすでに書かれていたのが驚きだった。

  また、こんなことも書かれている。(筑摩世界文学大系巻1 古代オリエント集)

  シュメールの格言と諺

  浪費癖のある妻が家の内に住んでいると、あらゆる悪霊より恐ろしい。



  隋唐演義 上 安能務 訳著

  興味本位で書かれたような文学に女性の本質が読み取れて驚いた。隋の文帝(楊堅)が仁寿宮で美女を選び、
床を共にする。そのことを知った皇后(独孤氏)がその女を惨殺する。

  嫉妬心が女性の本質だと言いたいのではなく、いかにして皇帝に選ばれるかが女性の最高のパフォーマンスなの
だ。調度や料理は男(宦官?)が最高のものを作り、選ばれた女性は酒を注いで会話をするのである。

  この場合最高の美女ではなく皇后と正反対のルックスの清楚な女性が選ばれたとあるが本当だろうか。

  元となる司馬光の資治通鑑のテキストにはこれだけしか書かれてなかった。

獨孤後性妨忌,後宮莫敢進御。尉遲迥女孫,有美色,先沒宮中。上於仁壽宮見而ス之,因得幸。後伺上聽朝,陰殺之。
上由是大怒,單騎從苑中出,不由徑路,入山谷間二十餘里。高?、楊素等追及上,扣馬苦諫。上太息曰:「吾貴為天子,
不得自由!」高?曰:「陛下豈以一婦人而輕天下!」上意少解,駐馬良久,中夜方還宮。


  流漂の大陸  森川萬智 著

  シベリア抑留ののち生きて帰ってきた著者の祖父の体験をまとめたもの。いつもは図書館にある平和の礎シリーズ
を読んで知識を得ているがこれはkindle版だ。

  よく生きて帰れたものだと感心したが秘訣のようなものがあると思えた。あまり前面には立たず、歴史の大きな流れには
逆らわず運を天に任せてその流れに乗り、絶望が見えても今度は開き直ってモチベーションだけは持続させる。

  相手が殲滅を狙ってきたら無理な話なので、そうでない場合のみこれで行けるかもしれない。


  いのちの戦場〜アルジェリア1959

  作戦の手引書のような映画。フランス正規軍によるFLAの掃討作戦を描く。のんびりした地上戦にときどき空軍が加わる。
政策は政策ソルジャーはソルジャーという割り切りが大切なのだろう。その間に立つ将校は大変な仕事だ。

  仏軍の行ったナパーム弾での殲滅戦術、FLAのタリバンの様な残虐なみせしめ、残虐さはお互いさまだがベトコンとFLA
とではちょっと違うような気がした。


T.S.エリオット  ゲロンチョン

  ゲロンチョンはギリシャ語で小さな老人の意。エリオット31歳のときの詩作。


  ここまで知識を得てしまってから、どんな赦しが得られるだろう?考えても見たまえ
  
  歴史には多くの抜け道があり、仕掛けのある廊下や
 
  出口があって、野心を囁きかけては欺き

  虚栄の餌でわれわれを釣る。


  臆病も勇気も、救いにはならない。道をはずれた悪徳は

  われわれのヒロイズムを父として生まれる。
  

  これだけを読んでもかなり凄い人だなと思える。ただちょっと疑問に思うのは老人ならば運命に翻弄された
か、切り抜けられたか結果がでているはずなので、このような問いかけはしないように思える。このような未来
に対する怯えのような文章はやはり若い人特有の発想だ。


  ギリシャ危機の真実  藤原章生

  2009年に起こったアテネ市街における騒乱のようす。大々的な破壊が行われた。


  こんな状態でもデモ行進はきちんと続いており、その静かな流れから3、4人がすっと飛び出て、新しく見つけた
標的に何かちょっかいを出し始める。それを見て興奮した若者たちが30人ほど集まり、行進から外れては破壊に
向かい、また行進に戻るというパターンを繰り返す。

 シュールドキュメンタリズムの手法を援用すると、ここに図らずもいじめの原型のようなものが見えてくる。

  つまり学級とは静かな行進であり学校や家庭に対する不満が渦巻いており、そこに管理側の統制の乱れが加わると
行進しながらターゲットに対するいじめが始まる。いじめが感知されると集団が一種の興奮状態になりいつまでもそのいじめ
が続く。集団の興奮状態であるからキーパースンの存在だけでは説明しきれないなにかがある。

  単に統制を強めればいじめが無くなるわけでもなさそうである。


映画 レッズ

  見ている間は何のことかよくわからなかったが、レーニンやトロツキーが出てくるのでロシア革命の最初の頃かな
ととにかく思いながら終わりまで観た。主人公のJohn Reedを調べると「世界をゆるがした10日間」の著者ということが
分かった。この本は世界史の必読書だったような気がするが、今では取り立てて持ち上げられることもないのですっかり
忘れていた本だ。

  歴史の一コマを映像として見れたのは幸いだった。映画を観たので本はもういいと思う。


  森鴎外 雁

  高利貸しの男に囲われた若く美しい女と帝大医科に通う学生と私(鴎外)の間に生みだされた物語であるが、
別に三角関係というわけでもない。鴎外の美女を見る目は確かで、描写も的確であり、その心内に何があるかまで
見通しているかのようだ。

  この小説の凄いところは幸せになる道を真っ直ぐ指し示しているところだろう。勿論少し読み替える必要があるが。
漱石や芥川にはこのようなことは不可能に近い。本人達がかなり病んでいるからだ。


  ビクターのヘッドホンでアンプの音を確認しているが、トラ技のトランスリニア回路を売りとしたディスクリートアンプ
とほぼ同じ音のアンプが家にはいくつもある。

  2013#3 NJM1360+上條式レプリカバッファ

  2013#9 NJM4580 + HCA回路

  2013#10 HCA simple

   これらの高域はほぼ同じ音がする。きめが細かく雑味のない癒やされる音だ。

  一方、

  2012#24 NJM4580 + Tip transistor buffer

  2013#7 Discrete BUF634

  の音は豪快でスパークリングシャワーを浴びるような感覚がある。過渡的な歪のせいだが、これらが悪いとは言い
切れないところがオーディオの不可思議なところだ。


  映画 My sister's keeper

  こんなに哲学的で涙を誘う映画は他にないなと思った。難病と闘う少女と家族の物語だが切り口が新しく
押し付けがましいところが無い。子どもたちが結びつき助け合っていた事実が明かされた場面は感動的だし、
真実を感じ取り無私で行動できる大人も素敵だ。難病の少女が最後は導師のようになり母親を癒やして死んで
いったのは最高の結末と思えた。


   LME49720電流伝送アンプ

  すでに電流伝送アンプは3つほど作って試してある。NJM4580電流伝送アンプの音は明るくさわやかな中高域が耳のわりと近くで
鳴る。電圧伝送だと遠くで聴こえるわけだ。低域は厚みがありエネルギー感も感じられる。音色だけが変らずにそのまま残る。

  パワフルなNJM4851電流伝送だと鳴りっぷりはK79SEPP miniといい勝負になる。

  このように驚くほどの改善効果がみられるわけだがさらに機種を増やしてみよう。今回の元のアンプ



  


ダンテ  神曲

 人生の半ば、道を踏み迷いふと気がつくと暗い森の中にいた。


   この出だしはなんとも素晴らしい。が、そのあとに続くのはキリスト教的な説話の様なものなので暗い森を
どうやってリアルに抜けだすのかが書いてあるわけでもない。

  こういう感じを持つということはこの人は人生の前半は恵まれており、ある程度順調だったと推測できるわけで
ある。実際ダンテは貴族出身でうまく出世もしたが、政争に敗れ35歳のとき全財産を奪われ追放となった。

  変な勘ぐりだが東京地検がある事件を立件したのは、中に神曲マニアが居てこれを現代に再現してみようとしたのでは
ないだろうか。


  松本清張 父系の指 

  父の不運を分析して自分のおかれた境遇を解説するという仕掛けがある。全く素晴らしい手腕だが、自伝ではない
のでそこから這い上がってくるところまでは書かれていない。主人公が叔父家族と面会したときにカチンときて尻切れ
トンボのように終わる。

  主人公はかなりの部分作者と重なっているらしいが、成功した叔父はフィクションだろうと考えられる。田園調布の
豪邸、学士会館、雅叙園での披露宴、子女の海外留学等出てくる話がベタ過ぎるのである。


  映画 つづり方姉妹

  終戦直後の枚方市の丘陵地帯に住む貧しい8人家族の物語。作文(つづり方)で高価な賞品をもらう兄弟姉妹
の暮らしの様子が描かれる。

  大阪に近い田舎なので純朴というほどでもなく、ゲットーのような過酷さもない。人々はおおむねやさしいが、
正義感はないようなあるような微妙な感じがする。少年は肺炎になり死んでしまう。最後に受賞のインタビューが
あって終わる。少年の兄の発言やまわりの反応ももうひとつぴりっとしない。

  ポイントがどの辺にあるのかはっきりしない映画と思う。


  バッファだけでも良いのならFETレプリカ回路のアンプの音を聴くことができるだろう。





  魔法の国?エレガントでしっとりした音には厚みがあり極めが細かく刺激的なところがない。透明感があまり感じ
られないのがちょっと不思議だが、いぶし銀のようではある。

  FETの選別にはカーブトレーサーAtlas DCA Proがとても役立った。数秒でVgs(on)が算出される。


  遠藤周作  六十歳の男

  イエスの生涯を書き終えて澄み切った心境に至ったかというとそうではなく、自分の体の事、渋谷にたむろする女子高生
のこと、仕事の悩みにさいなまれている遠藤周作がいる。

  悟りや真実というものは結局追求していっても文章にしたとたん嘘になる性質がある。T.S.エリオットのゲロンチョンに
もそのことが書いてある。究極の知識も救いにはならないのである。

  遠藤周作が渾身の力で書き上げた作品群も結局等身大の彼を表しているに過ぎないのである。森鴎外の凄いところは
悟りを書いたわけでもなく普通の物語を書いただけなのにその輝きが永遠に失われない力を持っていることだ。


今年のFreecellの結果 1651個



  頑張った月もあったようだ。2月が少なかったのはパワーアンプを猛烈に作っていたせいで、基板レイアウトばかり
書いていたためだ。Freecellをやる暇が無くなるのである。


  2013年に作ったヘッドホンアンプ



  #1  Detachable 1

  #2  H.C.A回路採用ヘッドホンアンプ(HA-4a改)

  #3  NJM1360+上條式レプリカバッファ

  #4  NJM1360+MOS FETバッファ

  #5  ディスクリート LME49600

  #6  ディスクリート LME49600mini

  #7  ディスクリート BUF634

  #8   ディスクリート LT1010

  #9   HCA mini

  #10  HCA 薄型

  #11  LME49720電流伝送アンプ

  #12   FET Replica Buffer


  映画 黒い罠

  オーソン・ウェルズ監督、チャールストンヘストン主演のサスペンス映画。アメリカ・メキシコ国境の町で起こった
暗殺事件に巻き込まれた新婚夫婦の話。メキシコには悪の組織とチンピラがいて優秀な刑事もいる。アメリカから
捜査に来た刑事は元アル中の悪徳刑事だ。これらが絡み合って事件はとんでもない方向に展開するが、最後は
結構ハッピーエンドのような形となる。オーソンの悪の描き方に甘さがあるのか、実際にメキシコ人はこんなふうに
のんびりしているのかは考えてもわからなかった。

(おわり)