2014年の音楽生活3

  はや3月、車から出て沈丁花の側を通り過ぎるときにほのかに薫る季節となった。そろそろ水仙も咲き出すだろう。


アイザック・アシモフ  人間への遠い道のり

  流れの緩やかなユーフラテス川を整備して灌漑農業を始めたのが文明の始まりというのは私の考えと同じだが他にも
興味深い考察がいくつか出てくる。農業が諸悪の根源とまでは言ってないが、それまでは逃げれば済んだのが定住により
外敵と戦わざるを得なくなったのが戦争の始まりという見方は面白い。

  宇宙に関するエッセイでは超新星の爆発とニュートリノの観測について大変わかりやすい解説があった。1987年に起
こったこのイベントのことはよく知らずにいたのだが、カミオカンデとノーベル賞の関係もこれで理解できた。アシモフがカミオ
カンデのことをこのエッセイで黙殺しているのは理解に苦しむが、日本には特に関心が無い人なのだろうか。


映画 北北西に進路を取れ

  ヒッチコック監督の有名なサスペンス映画。見始めてすぐ戦争モノじゃ無いと気づく。スパイの戦いにしてはゆるいのでは
という印象も有るが、何も考えずに映画を見るというのも最近はいいと思うようになった。

  国際連合の建物やラシュモア山も見れて少し見聞も広められたし言う事はない。


  日曜日に公園の梅林を見てきた(写真無し)。中に入ると甘い香りがした。

  庭に咲く花の時期をまとめると、

  2月〜4月 水仙

  3月  沈丁花

  4月  エゴノキ
  
  5月  さつきつつじ

  6月  オリーブ、あじさい

  7月  沙羅

  8月  百合、薔薇

  10月 金木犀

   という感じになる。


映画 風の中の子供

  昭和10年代に現れた日本の家族の原風景といった映画。この手の日本映画は結構ある。会社の争議に巻き込まれた父と、
父のいない間二人兄弟を支える母とその親戚がおりなすドラマになっている。焦点となるのはやんちゃで周りをふりまわす弟の
ほうだ。危ないところまでゆくがなんとか周りの人の尽力により収束する。これはリアルなのかそうでないのか、この家族のいる
地域ではこのように穏やかに時間が流れてゆくのかもしれない。しかし激烈なことの起こるような地域もその当時はあっただろう。
そういうタイプの映画も見てみたいものだ。


Genesis "Lamb lies down on Broadway"

 ロンドン近郊にあるウェンブリースタジアムでは大物のロックスターがよくライブをやっている。1986年のクイーンのライブは
DVDに残っているが素晴らしいものだった。当時フレディー・マーキュリーはロンドンに豪邸を構えていてまだ健康だったようだし
絶頂期のクイーンが楽しめた。1987年のジェネシスのウェンブリースタジアムでのライブもDVDがあったので期待したが、
Lamb lies down on Broadwayは収録されておらず少々がっかりした。このツアー内の他でのライブではやっているのかもしれ
ない。

  というわけでCDのほうを改めて聴いてみた。イントロのシーケンサー風の生ピアノは何度聴いてもかっこいい。当時こうい
った現代音楽風のプログレの延長上には素晴らしいものがあるように思えたが、私の見るところでは結局これ以上のものは
出てはこなかったようである。


映画 ムーランルージュ

  やはり見てみないとわからないものだが、題名からくる想像とは異なり、この映画はスピード感と予定調和でガンガン来る
ディズニー風のコメディーなのだった。

 舞台は20世紀になったばかりのボヘミアンが集まるパリのムーランルージュ。イギリスから来た若い作家が冒頭から実存
モード、相手をする美人女優(またもや二コール・キッドマン)が日常モードなのだが何故かモードの齟齬から来るおかしみは
希薄である。

  ミュージカルになっているがオリジナル曲は少なく、有名どころの編曲がほとんどで、おやっと思わせる選曲だ。カンカン踊り
のところでニルバーナのSmells like teen spiritの合唱がある。

  筋はおきまりの三角関係に伴う悲劇だがコメディの中ということで重みは全くない。冒頭で開陳される浅薄な思想、空疎に
しか聴こえないラブソングズ、公爵をコケにしたような結末の後味の悪さ。やっぱり最低の映画だ。


安部公房 永久運動 (昭和31年)

  文学界に書き下ろした一幕劇。人造超人を作った教授がその発明を発表する。人造超人はそのころの電子計算機より
はるかに優秀で、どんな質問にも回答ができ、応用は無限大であるという。三人のさくら?が登場し試しに質問するが人造
超人は完璧な回答をする。この三人がさくらならこれは会員勧誘詐欺といえるが、人造超人は三人の人生相談も引き受ける。

  学生はお金がないが就職希望、人事課長は学生を就職させるかわりにお金をとる、娘は人事課長と旅行の約束をして
お金をせしめるつもり。学生が就職できれば娘とデートができる。

  こういった条件を入力した人造超人はすぐ教授を殺しその持っている5万円を使ってこの目論見を実現せよと言う。三人は
驚きながらも人造超人の言うとおり手をつないで永久運動を始める。

  つまり三人はさくらでは無かったということか。だが人造超人の回答はややお粗末なものといえる。


ボロディン作曲  歌劇イーゴリ公 全4幕

  ワシーリ・シナイスキー指揮のボリショイ劇場公演をNHK BSの録画で観た。劇場で観るのとは比較にならないだろうが、
このオペラも一度は見ておきたいものの一つだ。そのハイライト、だったん人の踊りのところでバレエが入る。ボロディンの
管弦楽は斬新で聴きやすいものだが、テキストがいかにもメロドラマのようで陳腐だったのは残念だった。このへんがオペラ
をいまいち好きになれない理由かもしれない。

  当時黒海の北岸はキプチャク・ハーン国の一部でポロヴェッツ人が住みポロヴェッツ草原だったらしい。アゾフ海、ドン川という
単語が歌詞にでてくる。その辺りが彼らのホームグラウンドでドナウ川は憧れの地のようだ。今でもタタール人が多く住む場所で
ある。


散歩用負性インピーダンスアンプ

  今年に入って作った(或いは改造した)負性インピーダンスヘッドホンアンプは八台あるが全部ヘッドホン専用となっている。
速度特性フラットのアップル純正イヤホンはアンプ側がZo=0〜9Ωでないと低音不足となる。しかし今日iPodのイコライザーを
使えば低音不足が何とかなるのでは?と気づいた。Doc出力では効かないのでイヤホン出力にして試してみるとBass boosterと
いうポジションでまあまあの結果が得られた。

 負性インピーダンスアンプの本道は高めのQのシステムをアンプの力でフラットに近づけて、その際MFBがかかるというものだが
イヤホンでQの高めのものが無いので致し方無いのである。

  聴いてみるとクールで透明でダイナミックな音という印象だ。


映画 エレジー

  批評家としても有名な老教授が女子大生を愛人にするという話。30歳という年齢差を出口無しと捉えたような描き方だが
安部公房の場合も23歳差だったので酷似したこのケースでも幸せを構築することは可能だったと思う。二年付き合ってから
教授自らが壊したように見える。この教授が余りにもダンディで彼女を振るのにあまり抵抗がなかったのもあるだろうし友人の助言
も影響したかもしれない。破局させるのは同棲してからでも良かったと思われるケースである。実話なのかどうかはよくわから
ないが。


映画 バベル

  都会人が砂漠の村に連れてゆかれるというのは「眼には眼を」のシチュエーションだし、メキシコ人+アメリカ人が車でアメリカ
国境を行き来するシチュエーションは「黒い罠」で見たもので既視感がある。日本の女子高生や大人たちの荒廃した心の話は元ネタ
がよくわからない。

  いかにもカンヌ出品作品らしく難解な雰囲気を作ってはいるがこの三つのストーリーには関連があるとは言っても形式的なもの
に過ぎず、描かれた3つの社会には根源的なつながりは無い。どうやらバベルという思わせぶりなタイトルも不発に終わっている。

  千恵子の父がモロッコに置いてきた銃が元で三つの家族が事件に巻き込まれたが、終わってみればそれぞれの家族で一人づつ
亡くなっていたことを考えると、三方一両損の落ちが付いたのではと思ったのである。


安部公房  少女と魚 (1953)

  SFファンタジーなのに劇として書かれている。劇中に人形芝居屋がでてきてキャラメルを売りながらこの話をするという仕掛けに
なっている。この方法なら現実とファンタジーの接続はばっちりである。

  花園町、キャラメル工場、ひもじい様という飢餓同盟の使いまわしのパーツが散見される。貧しい漁師町に住む正直な夫婦、
キャラメル工場を経営する強欲なブルジョア夫婦、という設定は子供向けのわかりやすいものであり教育的な配慮もあるのだろう。
魚の王によって一時的に人間の姿でこの漁師町に現れたむすめは気立てがよく聡明な美人で、たちまち評判になるが強欲な勢力
に目をつけられ監禁される。最後は人間には及びもつかないような超能力で悪を退治して海に帰ってゆく。

  その後生まれた漫画やアニメはこの路線を踏襲しているようだ。


安部公房  制服

  昭和20年2月の朝鮮を舞台とする劇。日本が負けると噂され日本の官憲による統制が崩れつつある状況での物語。日時と
場所が指定された作品は安部公房のものとしては異例である。

  主人公は1年前に定年退職した警察官で闇酒ブローカーと組んでお金を貯めていた模様。結局仲間割れと妻による裏切りから
帰国直前に殺されてお金を奪われてしまう。細部もリアリティーがあり興味深いのだが主題はそこではなく死んだら幽霊になって
現場にポッと出てくるというあの仕掛けである。映画「穴」でも使われている手法である。そうすると殺人者が殺されると幽霊として
現場で被害者と再会するので大変気まずい雰囲気となる。この場合は幽霊になった被害者が幽霊になった妻と再開し実存モード
(いやこの場合は虚存モードというのかもしれない)になって終わるのである。


安部公房  どれい狩り

  印象としては手塚治虫の作品にシュールな部分と不道徳な部分を加えたような感じがする。出てくる詐欺師が探検家と調教師
の格好だしライオンも登場する。アトムのような少女も登場して詐欺師たちと対決する。が、用意された道具立てがシュールなので
ある。ウェーという珍獣だが実態は詐欺師に雇われた人間であり、少女が詐欺をあばくためにウェーが人間だという証明に挑む。

  最後は少女側の人間がウェーになり、ウェーたちはやってられないと人間に戻り逃げ出すという仕掛けになっている。ミイラ取り
がミイラという結末だ。


映画  ロルナの祈り

  カンヌ脚本賞受賞だけあってユーロ社会の暗部を抉るような重い作品である。あまり美人ではないロルナという女性が仲間と
組んで結婚詐欺、国籍ロンダリングを遂行してゆく話。だんだん話が見えてくるので、ヤク中の夫が嬉しそうに自転車で走り出し
た場面でああこの後殺されるんだなと読める。ただ伏線と開示の間が短すぎるようだ。

  マフィア側の言葉はあてにならないので男がガソリンスタンドで停めると言ったときこの後ロルナは殺されるのではと読めるの
だが、実際はロルナがマフィアを攻撃してしまったのでこの伏線は謎となった。

  ベルギーのフランス語圏の社会の様子が見れた。冷たいけどわりとまともに機能している感じがする。


安部公房 幽霊はここにいる (1958)

  アイデアから設定までがツボに入ったかのようにセリフが冴えまくっている。話が進むに連れ幽霊の威力が効いてきて、
市民の会話がシュールになってくる。幽霊に密告されて会社を首になった顎のはった黒縁眼鏡の男は作者の特別出演だ
ろう。

  一言で言えば幽霊を利権化すればこうなるという話である。シュールであるが今の利権だらけの日本の現実はこれを
すでに超えているかもしれない。


BS朝日 BBC地球伝説 大自然の宝庫 北極圏を行く ヨーロッパ北部・人々の今

  ロシアのタイガ地帯の村ニュクチャの今とノルウェーのトナカイ放牧(フェリーやヘリを使っていた)、観測地点が有るスバール
バル諸島の3つの話題が取材されていた。BBCなのでタイガのことをboreal forestと言っていた。

  ニュクチャは人口600人の村でモスクワから列車で8時間行きさらに車で数時間行ったところにある。森林を拓いた道を行くと
虫だらけで湿気が多そうだ。やけに陽気なレポーターがおばあさんのキノコ採りに同行する。おばあさんは夫を亡くし年金暮らし、
体の調子が良い時は森へ行きキノコや苺を取るのである。この日は毒キノコの紅テングダケを集めて帰った。これを瓶詰めにして
発酵させると痛みに効く外用薬になるのだそうだ。ソ連時代は製材工場や集団農場があり国が管理していたので仕事が無くなること
は無かったそうだ。今は勝手にどうぞということなのだろうか、若いものは出稼ぎに行き、残った人は個人で自給自足のようなことを
しているように見える。罠をしかけて動物を捕ったり、小規模の畑作しか生きる手段は無さそうだ。木を切ることは許されていないらしく、
冬の暖房は年金の三分の一のお金で薪を購入するしかないようだ。森林の監視員アレクセイが車で見回り倒れた木を燃やしていた。
おばあさんの住居は木造の小屋で冬に備えて苔で隙間を埋める作業をしていた。もう霜の降りる時期になっていた。

  もういい加減幻滅した。シベリアは国費を投入しないとまともには暮らせない土地なのだった。


 岩波文庫  無門関

  13世紀中国の宋の時代に成立した禅宗の公案集。48ある。現代語訳のところを通読してみた。よく耳にするエピソードが
いくつかありここが出典なのだと知る。例えば隔靴掻痒(序)や仏に逢えば仏を殺し(第一)などがある。

  現実にもありそうなお題もある。お前に◯◯◯があったならお前に◯◯◯を与えよう。お前に◯◯◯が無ければ私は◯◯◯を
奪うぞ(第44)。これは金融ドラマの半沢直樹でも聞いたセリフだ。

  オーディオに関する公案もある。いったい音が耳の方にやってくるのか、耳が音の方に行くのか、どちらだ(第16)。長年
オーディオをやっていると後者の場合も無くはないという場面に遭遇するが、そういうことは本質ではない些細なことのように
思える。修行している人は暇なのかかえって言葉に因われているのではと思う。

  暴力的なものをわりと肯定しているところがあるのは何か背景があるのだろうか。


映画  男と女

  1960年代のイケているアイテム、パリ、モータースポーツ、映画産業、音楽をちりばめた美男美女の電通的なラブ
ストーリーだ。虚無的であるが意外と素朴なパリジャンが美人と遭遇する。ふたりとも配偶者を失った子持ちであるが自由な
職業を持ち裕福に暮らしている。あとはどうなるかはわかりきっているのである。

  6000kmという謎の言葉が出てきたがパリーモナコ間が1000kmなので、モンテカルロラリーでは4000km走った
という意味と計算できた。コカ・コーラとフォード・ムスタングというアイテムがアメリカに媚びているようで気になった。でも
日本ほどではないか。


映画 愛と追憶の日々

  メラニーは行くでは主人公はアラバマの女だったが今度はテキサスの女の物語だ。男は本当に影が薄い。一人異彩を
放っていたのが実家の隣に住む元宇宙飛行士(ジャックニコルソン)だ。

  人格障害すれすれの母親の元で育ったエマ(デブラ・ヴィンガー)は美人だが気が強く、相手をぺしゃんこにすること多々
あり。しかし情に厚いところもある。結局夫婦関係はだんだんうまくいかなくなり大学の先生である夫は女子大生との浮気
に走る。義母と妻からの攻撃を受けて夫は実に憂鬱な顔をしていた。しかしニューヨークの女と違ってエマは離婚などせず
専業主婦を貫くのだった。

  これは古き良き南部女性の2代に渡る物語だ。


  庭でほぼ自生している水仙



ジョン・コルトレーン Giant Steps

  コルトレーンの言うとおりコード進行を暗記しなければ演奏が成立しない楽曲が並んでいる。コード自体もクロマティックで
分かりにくい感じがする。旋法の中で自由に即興ができるモード奏法とは対照的だ。何度か聴いていると第六トラックのNaima
という曲が気になった。ゆっくりとしたずいぶんメロディアスなナンバーだ。夜の雰囲気が漂う。後半もフリージャズ的な即興はなく
そのまま終わった。コルトレーンのしっかりした繊細なタッチの音をストレートで味わったような感じがする。


映画 ポワゾン

  若きコーヒー農園のオーナーが結婚を機に真っ逆さまに転落する話。慎重を期したつもりの結婚だったが相手は男と組んだ
なりすましだったからひとたまりもない。女そのものが危険であるのに背後に犯罪者がいるからお金だけでなく命まで取られる
ことになる。よく肝に銘じておけという映画だろうか。

  全部の材料が揃いいよいよクライマックスの対決という場面で都合によりこの続きは翌日見ることにする。翌日結果を確認
すると夫は毒を飲んで瀕死、男は射殺、女は殺人容疑で逮捕される。

  さらに都合によりその続きを翌日見る。首を折る処刑機でやるのかと思わせて実は女は逃亡、モロッコで夫と楽しく暮らして
いたという結末だ。これはちょっといただけない。


映画 お葬式

  冒頭の義父が苦しみだす場面の音楽のあまりのクオリティの高さにエエッと思ったが、音楽担当湯浅譲二と聞き納得した。
画面を暗くしてコントラストを上げる撮り方と豪華キャストが印象的だ。話は蘊蓄がずっと続いているという感じで、無駄なスペ
ースやほっとする感覚が乏しい印象を受けた。

  巻き戻して電報配達人の井上陽水を確認した。


安部公房 石の眼 (1960年)

  安部公房は「事件の背景」というダム建設にまつわる事件のルポを書いているが、これはそのときの材料を元にして再現した
小説ではないようである。反対運動をしている男も登場するが地すべりの丘に小屋を作って立てこもる気ちがいとして話の
部外者として出てくるだけであり、ストーリーは全くの創作である。

  小説としてはオーソドックスな書き方が試みられている。まず場面の描写から始まり登場人物が出てきては会話をしつつ話が
進んでゆく。登場人物の思惑はそれぞれ違っており小さな事件が次々と起こることによってだんだん抜き差しならない状況になって
ゆくがシュールな味わいは希薄である。結局実存モードばりばりの人が一人いて最後に殺人を実行してしまうのだが、読んでいる
間はだれが実存モードなのかはわからないようになっている。


安部公房  パニック (1954)

  32歳の男の求職活動の日常から物語が始まり、不可解な出来事が次々と起こってくる。種が明かされてみると、パニック商
事・・・・・ドロボウ・・・・・・会社・・・・・、いくらなんでもという仕掛けになっていた。しかしまだ事件の最中である。
奮っているのが社員心得で、マルクスの剰余学説からとったものであり、犯罪者の社会貢献について論じたものだ。このような
ショートストーリーはフジテレビの世にも奇妙な物語にそのまま使えそうだが、こちらのほうが知的洗練度は高いような気がする。


安部公房  犬 (1954)

  主人公の独白から始まるが犬に対する個人的な毒舌となっている。こうズケズケと言うのは安部公房の作品では珍しい。この
ような作品を量産することはなかったがこの路線でいけば豊田有恒になっていたと思う。

  話の舞台は美術研究所だが美術畑の人はこう言っては何だがどうも道徳的にゆるいのだろう。森鴎外も青年でそう言っている。
おそらく作者が犬がきらいなのは本当だろう。妻が指輪が好きなのも本当なのだろう。あとはフェイクだろうと思う。


映画 さらば友よ

  原題はフランス語だがセリフは全部英語だった。特にフランス人刑事のしゃべる英語は言い回しからして野暮ったいもの
だった。結局主人公(アランドロン)と友(チャールズブロンソン)が女に一杯食わされるという話だが、こんなに鮮やかに技が
決まったならもう泣き寝入りになるのが普通だろうと思う。この映画のように逆転したというのがむしろ不自然だと思われたの
である。


  3N+K

  ノンスイッチング三兄弟(HCAminiDiamondbufferNS2石反転バッファ)と完全アンプQuadを座右に置いて徹底比較して
いる。音は共通のものがある。これらと比べるとレプリカバッファはノンスイッチングかどうか微妙なところだ。
  
  ひさしぶりにHMA-9500IIを鳴らしてみた。これも今聴いてみればノンスイッチングアンプの音だとわかる。

  これらで十分馴らされた耳で聴くとふつうのアンプには微妙な粒立ちが感じられるのである。


映画  ミスターアーサー

  冒頭のバート・バカラックの有名な曲はLPで持っていたが映画ではこんな使われ方だったのだとわかる。億万長者
のドラ息子アーサーは周りから愛されているがその立場がつらいのか酒に溺れてニューヨークの街をリムジンで徘徊
していた。実存モード兼アスペルガーと思われるアーサーは好きな女ができ、結局苦悩の末婚約者との結婚をキャンセル
し財産をふいにする決断をしたがその結末は?

  若さとセレブリティは一瞬の輝きであり幸福にはたどり着きはしない。

  映画はハッピーエンドだったが、これが実話なら後日談も聞いてみたい。


NHK BS 体感!グレートネイチャー モンゴル大雪原

  2014年元旦のモンゴル。ウランバートルを出ると雪原となりまもなく幹線道路も途切れる。2台のランクルは
凍った湿原を進んでゆく。5時間後遊牧民の暮らす村にたどり着く。

  テーマは幻日と呼ばれる光学的現象の取材だがそのような俗世的な目的は別として辺境萌えのいい映像が
撮れている。


映画  しあわせのかおり

  紹興出身の料理人王さんと無理やり弟子入りした訳あり女性のほのぼのとしたストーリー。登場人物は皆仮面をかぶって
おり真実はどこにもなく、奇妙な利権も絡んだような映画と思えたのである。金沢の閉鎖的な土地柄、中国紹興市の風物の
紹介はためになった。後者はちょっと柳川に似ている。


金子光晴  21世紀の日本人たちへ

  彼のエッセイを晶文社がセレクトしたもの。このシリーズは全7冊で他にも夏目漱石などがある。「明治人」は日本の
近代を概観したものだがこういうテクストはあまり見たことがない。明治人、ひいてはその後の日本人の屈折した行動様式
を解説しているがなかなか強烈だ。ふつうの文学やら歴史ではなかなか言及出来ないようなことを言っている。孔子の
せいで東アジアで数えきれない人々が犠牲になったというのもユニークな見方だ。

  エッセイは絶望を基調としているが家とか女、日本の気候に対しても否定的な見解を披露している。バンドンの気候は
とてもいいようだ。

(本文より)

  人間の理想ほど、無慈悲で、僭上(せんしょう)なものはない。これほどやすやすと、犠牲(いけにえ)をもとめるものは
ないし、平気で人間を見ごろしにできるものもない。

  いかなる理想にも加担しないことで、辛うじて、人は悲惨から身をまもることができるかもしれない。

  
  いいところを突いている。詩人らしい磨かれたような文だ。
  


  ミニアンプでは作っていなかったレプリカバッファも仲間に入れてみよう。







  音を確認するためバッファだけの構成にしてある。


映画  誰も守ってくれない

  犯罪加害者の家族というテーマがはっきりしている映画なので作り手の立ち位置が重要になる。あからさまなプロパガンダ
だと無価値になる。この場合は冒頭の音楽の使い方で芸術的効果をあげているしマスコミ、警察、行政、インターネットの気味
の悪さを描くことには成功していると思う。未熟だったり切れたりする素の人間が出ているのもいいと思った。


映画 追憶の切符  (2008年中国)

  これは現代の発展した中国を舞台とした美男美女の出てくるトレンディドラマと言ってよいと思う。大病院の新生児治療の
シーンや報道スタッフの仕事ぶりが現代の北京を表し、雲南のチベット族が住む教会のある美しい村が現代の辺境を表して
いる。乳児遺棄が主題であるが酷い現実を見せずに美談として描かれた。チベット族の苦境については隠蔽し清潔な映像のみ
紹介された。ご丁寧にも五星紅旗が空にはためいていた。ほぼプロパガンダといえる映画だろう。

  最後の場面で流れたジャズ風のピアノ曲は「星の世界」であれっと思ったが調べてみると原曲は賛美歌312番ということだっ
た。この曲を調べるにあたってソーソーラソミドドーラーで検索するとたどりついた。皆同じようなことを考えているようだ。なお
「冬の星座」というよく似た曲もあるのだった。


映画  禁じられた遊び

  避難民の少女の陥った状況からこの先どうなるのかと思ったがなんとかなるものだ。フランスでは食糧不足はさほどでもなく
ナチスドイツの爆撃も優し過ぎるくらいだったからだろう。難なく農家にもぐりこんで少年をそそのかし事件を引き起こす。

  子供が実存モード、大人が普通で良識的という変な映画だが日本では大変有名になった映画でもある。後の千と千尋の神隠し
と設定がよく一致している。ひょっとしてこれを下敷きにしたんじゃないだろうか。


映画  とべない沈黙

  久々に観るATG映画。前衛的な手法を用いているがつなぎ合わされたシーンはB級映画的素材である。主題が
蝶と人間世界の交錯なので荘子の胡蝶の夢の映像化とも考えられるのである。欲望に翻弄され自滅してゆく人間が
幼虫とともに山口、広島、京都、大阪、香港、東京を舞台に描かれ、北海道に至る。最後はナガサキアゲハとなり少年
と遭遇する。移動していった加賀まりこが蝶の化身であるのかもしれない。


映画 砂時計

  夏帆演じる美少女が自死遺児となり恋愛もうまくゆかず周りを引っかき回すというアウトラインなので後味が悪い話なのだが
砂糖をまぶしたような少女漫画風にまとめられている。登場人物は皆少しずつ愚かであり自分本位だ。相手を自分の心の不安
定さから振っておいて、婚約破棄から自殺未遂までしている。もうこうなったら主人公の少女が美少女なのかも疑わしくなる。男に
宿命が無くとも女がこのようであるならば残念ながら幸せは無い。


ジョン・レノン 名言集

  君が独りの時、本当に独りの時に、誰もできなかったことを成し遂げろ。

  これの出典がインタビューなのか歌詞なのかわからないのだが、これには感心した。

  言い換えれば、「残念ながら幸福を得られなかった場合は残りの人生は自分のやりたいことを黙々とやるしかない。」
となると思う。暗黙のプログラムというか処方というか、わかっている人は案外少ないのではないかと思う。いつまでも
幸福を求めたり、やりたいこともやらず一生を終える人のほうが多いような気がする。

  ブッダは幸福を壊してからこのプログラムを実行したというところに特異性が有る。だから普通の人はそのとおりにやる
必要は無い。


7年ごとの記録  旧ソ連28歳になりました

  今となってみればウクライナには未来は無かったのだといえるのだが、このドキュメンタリーも負けてはいない。

アントン  モスクワ在住、共産党エリート用のアパートで育つ。7歳の時からソ連崩壊を予見。大学卒業後男性雑誌の
編集者となる。現実を見てロシアという国にもはや幻想は抱いていない。汚職が多く、嘘つきだらけという。「この国は
マトリョーシカのように内側に異なる正体を隠している。」と言い切った。妻と二人の子供と郊外のアパートに住む。

スタースとデニス  双子の兄弟。サンクトペテルブルグの工業地帯で育つ。7歳でペレストロイカを経験。物資の窮乏を
体感する。14歳で麻薬取引の現場を周りで目にするようになる。スタースは大学を中退、ウェイターをしている。彼女と
別れたことにトラウマを持つ。デニスは船員になり航海士を目指していたが現在は失業中。彼女ともめたことを引きずって
いるのが原因だ。ふたりとも彼女に裏切られたと思っている。

ターニャ  バレリーナを目指したが断念。サンクトペテルブルグに住み金持ちの彼氏を捕まえて裕福に暮らしているが
心の中はドス黒い。ロシア女性は美しい外見の中にこのようなものを隠している。

アルマス  キルギス在住のキルギス人。旧ソ連時代は工場が機能しており平等に仕事があったという。1991年にキルギス
共和国が独立すると一家は失業。18歳の時会社を立ち上げるが失敗。21才のときには妻と一子を持つ。2010年に騒乱
が起こり経済はさらに混乱。ノボシビルスクに移住を決意し今は妻と市場で働いている。

リタ  バイカル湖畔の町で育った美少女リタ。材木業の実家は裕福でレーニンを崇拝する少女だったがいつしか現実に打ち
のめされる。婚約者は暴漢に殺され今はシングルマザー。子供を実家に残し遠くで暮らすという。その詳細は不明。

アンドレイ  シベリアの孤児施設で育つ。祖母以外は皆死んだという。放送後養子縁組でアメリカの家庭に引き取られる。
そこではトラブルとなり別の家庭で自由な生活を得るが大学には進学せず、ITビジネスを始めるが失敗。現在は鬱々とした
日々を送っている。

アーシャ  サンクトペテルブルグに生まれ裕福に育つが家庭が崩壊し転落を味わう。そのため考え方はかなりおかしい。
一児をもつシングルマザーになっている。インタビューではキレイ事を言う割には眼が死んでいる。

  順風満帆なのはターニャだけ、アントンはなんとか世を渡り歩いている。ほかは全滅か。


  ゴールデンウィークといえば趣味か行楽で少し散財すればなんとか形になる。家族とショッピングモールに出掛ける。本は
もうたくさんなのでレコード店でデモ用の音源を聴く。ナカミチのシステムとパイオニアのヘッドホンは悪くは無かったがウチの
負性インピーダンスシステムには到底かなわないだろう。スウェーデン王立アカデミー出身のグループでデヴィッド・フォスター
プロデュースという触れ込みのものがあったがピンとこなかった。三宅由佳莉のCDがあったので購入。地声でこの音域を歌い
上げるのは至難の技と思うし若々しい声を写した音源は貴重な記録になる。鯛焼きとパンを買って帰宅。

  休日もちょこちょこと回路を作っているのだがあまり先走ってもやることが無くなって困る気もする。Current bias Bufferはやはり
いい音がする。測定時に不安定になりデータが取れないが、出力はDiamond Buffer NSより少し大きく歪みも少ないようだ。


映画  心のともしび

  やさぐれたプレスリーのような男が医学部に入りなおしてジョージ・クルーニーのような誠実なシニアに変貌してゆく。
その理由が一目惚れした女性を幸せにしたいという一心であるから愛の力は大きいということだろうか。

  森鴎外の雁では主人公の女が自分を幸せにしてくれるのは帝大医科の学生さんしかいないという妄想に取り憑かれる
が、ちょうどそれを反転した話である。

  この映画では脳手術もうまくいってハッピーエンドになった。やや現実離れしているかも。


映画  虹の女神

  どんな不幸もさらっと流せるというあおいの一家が印象的だ。フィルムにこだわる映画少女あおいは上野樹里が演じて
いるが美人のレベルを数段階落とさないとストーリーに齟齬が生じるようだ。彼女は神々しいくらいの美女の顔も持つ。劇中
劇でそのことを示しているではないか。また男を籠絡する女が相田翔子だがこれもかなり落とさないと恐怖感が伝わっては来
ないのではないか。これだと羨ましい感じしかしない。このようなミスキャストが散見される。


ちくま学芸文庫  ウパニシャッド

  紀元前6世紀から3世紀頃インドにおいて成立したサンスクリット語の聖典。奥義というような意味を持つ。

第3章第14節より

  意から成り、生気を肉身とし、光輝を姿に持ち、真実を思惟し、虚空を本性とし、一切の行為をなし、一切の欲望をもち、
一切の香をそなえ、一切の味をもち、この一切を包括し、沈黙して、煩わされることのないもの。

   それがアートマンである。

  これは我(アートマン)の完成された姿を述べている。お分かりのように欲望を全否定してはいない。普通に生活していれば
人生が充実してくる50歳代でこのくらいの境地には達するのではないかと思う。そこから先は短いと思うが。


Dirty Loops

  調べてみるとスウェーデン王立アカデミー出身のグループはこれだった。自分たちでYouTubeに動画をアップしたのが評判
になったという。YouTubeで探して負性インピーダンスシステムで試聴する。パフォーマンスは凄いなと思う。

  iPod touchなら負性インピーダンスアンプに乗っけてwifi環境でDubstepを楽しめることを発見した。このアンプはこのジャンルに
必須なアイテムだろうとは思う。


映画  海外特派員

  NYグローヴ社の海外特派員がヨーロッパに渡り開戦の情勢を探る。たちまちスパイたちの暗躍に巻き込まれる。
スパイ対新聞記者ではどう見ても負ける気がするが特派員ジョーンズは健闘する。誘拐されたヴァン・メア氏の言葉
がなかなかなものだった。ヒッチコックの考えだろうか。美女と宿命の有る男という構図が出てくるが、美女もスパイの
娘だった。最後の飛行機の場面は面白すぎるが砲撃を喰らって墜落するときの効果音が聞いたことが有るような気がした。
ア・デイ・イン・ザ・ライフのオケが上り詰めてピアノで着地する音、つまりこれはそういう意味だったのかと納得する。
主人公たちが助かってハッピーエンドになったのはリアリティに欠けるけれどまあ娯楽作品では仕方がないか。


映画 Great Expectations

  チャールズ・ディケンズの小説の映画化。鍛冶屋になるはずの少年ピップが篤志家の遺産相続人になり紳士になるストーリー。
老貴婦人の邸宅にお呼ばれしているうちに少年には紳士になりたいという願望が芽生える。そして美少女エステラと結ばれたい
と思うのだった。その後ある善行が元になりピップに紳士になる道が開けるのだが、同じ因縁が元で運命は暗転してゆく。ついには
財産は国に没収される。

  後見人になったり、被告人の弁護をしたり、婚約者に秘密を漏らしたりと弁護士が大活躍する話でもある。淑女になったエステラ
も最後は婚約破棄されるが、ピップと再会しハッピーエンドで終わる。

  こういった古典的ストーリーにはいろいろ読み替えると幸せへの道が示してあるので興味深い。


映画  勝負をつけろ

  嵌められて殺人犯にされた友人を助けようと証拠探しにマルセイユに乗り込む主人公(ジャン・ポールデルモンテ)。
どうも見ていて善悪がはっきりしないのだが友情と兄妹愛だけは確かなもののようだ。結局主人公の努力もむなしく友人
はマフィアに妹を殺されてしまう。友人が悪いと言えば悪いのだが。宿命から逃れるのは難しい。


きだみのる  気違い部落周游記行

  映画ではDVD化されにくい事情がありそうなので単行本を入手。2010年第10刷となっている。読んでみると
知的で上質なエッセイとしか言いようが無い。出てくる部落の人たちも機知はあるし素朴で明るい印象を受けた。
かつて住職だった大観和尚の言葉がユニークだ。「それ神道もヤソも仏壇もござらぬ。あるのは人間でござる。されば
人間においては性に随う、これを善と申すじゃ。お互いに己の性に従った運を真直に歩いてゆけば、行きつく先は
同じ山の頂じゃ。」

  要するに外にあるドグマではなく自分の性分に照らし合わせて合わないと感じたことは回避しても良いということだろう。
裏を返せばそこまでの境地にたどり着くにはいろんな経験が必要だとも言える。若いうちにそれが出来れば多くの人が救われ
ていたはずなのに。

(つづく)